ターゲットを追っていた。とても簡単な任務だ。比較的大きな財閥の一人娘を、なるべく人目のつかない場所で殺す。それは、彼女の父親からの依頼だった。浅慮な行動に目も当てられなくなった彼の、鎮痛な面持ちをしっかりと記憶している。その男と個人的な関係があるわけでもなく、当然情がわくこともなかった。その顔を変わらぬ表情のまま黙って見ている私に、彼は逆に安心したような顔をした。そうだろうなあ、と思いながら、淡々と前金を貰ったのは三日前。下調べも済ませ、そろそろ頃合かしら、と思ったのが今日だった。

朝から女を尾行して、時期を見る。金色の長髪に美しいカーブをかけた、セクシーで扇情的な女だった。遠くから見た青い目は、愛娘の頬にキスをして笑顔で送り出したあの男に似ていた。
彼女は人の多い大通りを堂々と歩く。スカートの下に伸びる美しく白い足は真っ直ぐに行き先を見定めていた。男と会う。別れる。別の男と会う。その繰り返し。いいご身分だ。そう思った。
男と会い、店へ入っていった彼女の手には、決まって大きな紙袋が。この調子で貢がせるような人物なら、散財もするだろうなあと無感動な感想を持つ。次の男と会う前に、家から車を呼んで荷物を持って帰らせるその周到さが少し、面白かった。そういうことが出来るご身分だからこその男漁りであろうか。彼女が死んで泣く男が何人いるのかわからないが、とりあえず今日、朝から会った男の人数はすでに七人になる。しかしその中に本気で彼女を愛している男がいるのかどうか、私には判断がつかないし、どうでもいいことだ。

そうこうしているうちに夜になった。彼女が決まって人通りの多い道を選び、決まって人の出入りの多い店へ入ったためだ。適当な路地にでも入ってくれればすぐに殺してやれたのに。勿論、一緒にいる男共々。
予想以上に長引いた尾行に、いい加減私も少々苛立っているらしい。そんな危ない思考回路が脳へ入り込んだ。が、それをかき消すような人物が、彼女の横に並んだのだ。

一目で高級品だとわかる質の良い黒スーツ。ピカピカに磨かれた漆黒の革靴。目深に被った帽子がトレードマークの、長身の男。

私はすぐにゲッと思い、今日、この日に、暗殺を計画した自分を恨んだ。簡単な任務だからとはいえ嘗めていたわけではないが、まさかあいつが出てくるなんて思いもしなかった。というよりは、考えもしなかった。そんなことを考えるやつがどこに居る。そこまで予想がつく人間が居たら、私はそいつに手放しで賞賛を与えるだろう。
とにもかくにも、私は二人がホテルに入っていくのを見届けた。彼女等が乗ったエレベーターが何階で止まったかを確認し、外へ出る。三年ほど前までは普通の宿泊ホテルだった建物だからか、ベランダがそのまま残されているのが幸いだった。こんな建物にベランダなんかあったら、盗撮なんかの格好の的なような気がする。
二人が降りた階まで上がっていき、ベランダ伝いに部屋を確認した。特定するのは簡単だ。男達に媚びを売るのを何度も聞いた艶っぽい声。見目は美しいが、声は私の好みではないと思った。

室内から聞こえる情の音。女の甲高い声とベッドのスプリングが煩わしい。それを重ねるごとに私の眉間の皺は深くなっていった。
これ、ここで殺せなかったら私はとんだ無駄足の上に、聞きたくもない情婦の声まで聞かされて、とんだ災難な日になる。それもこれも、仕事が完了しさえすれば解消される問題だが。
室内からは未だ甘い声が漏れている。何が嬉しくて同業者のそれなんて見物しなればならないのか、と思うと一層憂鬱になった。

モヤモヤと考え事をしているうちに、中から女の嬌声が聞こえなくなっていた。ああ、やっと終わったのか。半ばうんざりしていたがために、今日は諦めてもいいかなどと思い始めていた私は、はあ、と思わずため息をつく。あいつには、バレるだろうな。いや、元々バレていただろう。悪趣味だとでも言われる未来が予想できて頭が痛かった。さっさと終わらせて退散したいが、あいつは自分が今抱いた女をみすみす殺させてくれるだろうか。そうでなければ、仕方がないから金を返して他を当たってくれとでも言うしかない。悔しさも覚えないほどに、あいつの方が私より勝っている。

「おい」

中から声が聞こえた。男の声。まさか今話しかけて来るなんて、とギョッとして窓の方を見ると、ガラガラとそれを開けてその男が顔を出した。

「何してんだ」
「……仕事」
「なんだ。お前にも人並みの性欲があったのかと思ったんだがな」

さっきまで情を交わしていたはずのリボーンはスーツを完璧に着こなして、いつもの風体のまま佇んでいた。乱れた様子の一つもないそれを見て、噂に聞く愛人の多さとは裏腹のスマートな雰囲気に納得がいく。切り替えが早い。とても。

「あの女、あんたの恋人? 愛人?」
「昨日バーで知り合った女だ」
「誘われたの」
「ああ。……なんだ、気になるのか?」
「まさか」

吐き捨てて、立ち上がる。リボーンは銃を抜く様子も見せないし、私を殺すつもりもないらしい。こいつが殺す気ならばもうすでに私は死んでいる。
別段気に入った女でもないのか。彼女が私のターゲットだと気付いているだろうに、彼はベランダに出てきてガードする素振りも見せない。胡乱気に見ている私を見て、口元を緩めた。よくする、あの顔だ。

「照れなくてもいいぞ」
「照れてるわけじゃない。ただ、あんたは自分から誘わなそうだと思っただけ」

こんな話をしている間に女が逃げる手はずだったのかとも思ったが、どうにも気配が動かない。朝帰りが過ぎるともぼやいていたあの男を思い出し、寝ているのかと思った。そりゃあもう子どもではないのだし、清楚に育てばいいものをそれとは間逆を歩んでいるのだから仕方がないだろう。それのどこが都合が悪いのかは、私には関係のない話だ。〝愛娘〟を殺してほしいと言うあの父親の気持ちは理解できない。
開け放たれた窓から室内をのぞくと、女がベッドで布団に包まっていた。肩口の白さが、ああ、まだ裸なのかと思わせて生々しい。

「いいの?」
「駄目だと言ったらやめるのか?」
「敵わないから」

五階程度のベランダでは、夜景と言うには日常と近すぎた。向かいの屋根を見ながら、私はそこに寄りかかる。真っ暗闇の空とは正反対のネオンが瞬いている。なぜ私は、ターゲットが間近に居ながらリボーンとこんなに穏やかに会話をしているのだろう。ふ、と吐き出した息は、生温い風に乗って霧散した。

それほど親しい間柄ではない。同業者である彼とは、やむを得ず何度か一緒に仕事をこなした程度だ。あくまでも、やむを得ず。
そもそも私は他人と共同のミッションが好きではない。協調性はないと自分でも思うし、合わせることも面倒くさい。そもそも私は、

「人嫌いの殺し屋」

彼の口から急に飛び出した言葉には、聞き覚えがあった。仕事柄、気にしていなくてもいろんな情報が入ってくる。勿論、その中には自分の評価も、噂も、たくさんある。私だってもう何年もこの世界にいるのだ。それなりに名の知れた殺し屋になっているし、そういう自負もある。そして今のフレーズは、私に対するそれだと知っていた。言葉を発した男の方を向き、「何 」と問う。

「お前のことだろ?」
「そういう意味じゃない。何をいまさら、ってこと」
「小耳に挟んだんだ」
「耳が遅いね」

もう何年も言われてるよ、と付け足して、視線を外した。間違っていない。合っている。殺しならば仕事を選ばないのだって、それが関係しているに違いなかった。とんだ殺人狂いだと言われても、別になんとも思わない。事実だ。自分でだって時々思う。自ら殺しに関わって、首を突っ込んで、手を血で汚して、そうやって生きている私にはその表現が正しいように思われた。

「本当に嫌いなのか」
「男も女もね」
「別に、根っから人が嫌いってわけじゃねぇのか」
「根っからだよ」
「そうか?」
「そう」
「俺と話してる」

小さな視線を感じた。チラリと横を見てみれば、彼も横目に私を見ていた。そんなことを聞いて何になるのか。けれど、そうだな。別に。

「あんたと話すのは嫌いじゃない」

そう、無感情に言う。それを聞いてリボーンはククッと小さく笑みを漏らした。

言いながら、思い出していた。ああ、私の父親も、あの男に似た目をしていた。青い、優しそうな目を。〝娘〟を見る目を。そして、彼は私の首を――
つくづく今日はついていないと、過去を振り返る前に息をついて中断させる。

「でも人は嫌い」

なぜならば。

「愛を教えてくれなかったから」

静かな声が出た。私の声は、とても人を殺しそうにないのだという。けれど初めて人を殺したときから、初めてあの青い目を濁らせたときから、私の声は人殺しの声なのだ。
そういえば、リボーンの声もそうは聞こえない。人殺しかどうかは、声では判断できないのだろうか。できなさそうだ。
リボーンは少し驚いた顔をして、私の顔を凝視した。それからニヒルに微笑んでで。

「教えてやろうか?」

耳元で声がした。艶っぽく、低い声。この声は好きだ。そう思った瞬間、声を返そうとした唇を塞ぐのは、今まで私の横で話していた男のものだ。突然なんて、紳士じゃない。私はいいなんて言ってない。そう思い、目を細めながらも閉じないで居ると、その先に居た男は愛おしそうに目を細めた。
なんだ、こいつこんな顔もしたのか。長い長い口付けだった。離れては吸い寄せられ、溺れそうになるのを堪えながら、絶対に目だけは閉じたりはしない。

こいつが本当に私を愛してくれるというなら、このまま流されてもいいのだけれど。

思ったのも束の間、彼の肩の向こう側で布団が捲れあがるのが見えた。徐々に離れていく唇を想い、私は目を閉じ銃に手をかける。

大丈夫、君は父親に愛されていたよと、視線を用いて語りかけながら、彼女がこちらを見る前に、


――パァン


銃声が木霊する。

「人殺しでもいいのなら、また今度」

仕返しとばかりに囁いて、初めて感じた背徳感を見ないふり。今まであの子を抱いていた腕で、お遊び程度ならお断りだ。そんな意味を込めて小さく笑い、その場を去った。

人嫌いの花

(本気だと追いかけたところで今のお前は逃げるんだろうな)
  • 2014/02/16
  • Adulto Arco!!
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