「何見てんだよ」
「何って、宍戸」
「……何で」
「普段跡部が濃すぎてあれだけど、やっぱモテるんだなあと思って」
「見んなよ」

あまりにも真剣な声で言うものだから、私は視線を宍戸から外し、横にいる跡部へ移す。彼はいつもの不遜にも見える態度とは違う、真摯な目で私を見ていた。「見ようと思わなくても目に入るよ」。私がそう事実を口にすると、彼はひたすらに不服そうな、不貞腐れた顔になって、私の腕をつかみ、引き寄せて、普段より強い力で抱きしめた。

(ガキかお前は)

幼馴染兼恋人のそんな行動に少々呆れつつ、その広い背中に腕を回してよしよしと慰めるように撫でる。「子供じゃねえ」とまた不満そうな声を出すけれど、私から見てこの行動は酷く子供っぽかった。いつもの跡部じゃないなあ、と思って、その原因が明らかに私にあることに、自分でも気づいている。それは自惚れでも何でもなくて、だけど私に反省する気はあまりない。彼もそれに気づいているのか、呆れたようにため息をつくだけで、あれ以上文句を言わなかった。

忘れてたわけでは、ないのだ。

バレンタインデーというイベントが、恋愛において重要視されることくらいはわかっていた。一週間ほど前にはそろそろバレンタインだなあなどと思ったりもした。だけど跡部は確実に大量のそれをゲットして、後々消費に困ることは毎年のことで。恋人の私から、わざわざ貰わなくたっていいんじゃないかと、そう考えたのは間違っていることだとは思わない。国外で育った跡部がその行事をこんなにも重視するとは思わなかった、と驚いたのは今日になってからだ。

だが、彼は別にチョコレートにこだわっているわけではないのだろう。物品がほしかったわけでもない。ほしいものは自分で手に入れるだろうし、そういう奴だ。
彼がほしいのは明確な意思表示なのだと思う。普段甘い雰囲気を作ったりはしない私達が、愛を囁き合うことはないに等しい。幼い頃からの付き合いで、今更気持ちを素直に言葉にするのは、他の誰かにそうするよりも遥かに恥ずかしく、驚くほど照れくさい。元々天邪鬼な私だからなおさらだ。今までは毎年あげていたチョコレート。それを貰うことで、とりあえずは気持ちを渡して、受け取ってもらえていた。そして、私があげた分の気持ちは、ホワイトデーに必ず帰ってくる。それで恋心の確認は済んでいたのだろう。跡部にとってそれが、思ったよりも大きい位置付けを持っていたのだと今になって気づく。

「皆見てるよ」
「知るか」
「……」
「お前が悪い」

ああ、思いっきり拗ねてる。子供のようだと苦笑した。引退したとはいえ、氷帝テニス部の王として君臨したあの跡部景吾が。後輩には見せられないなあと思っていたこれを、今遠巻きに見ているのはその後輩達だ。日吉が呆れたような顔で、鳳が驚いたような顔でこちらを見ているのに、少しだけ手を振って練習に戻るよう促した。背から手が離れたことに気づいた跡部は、一度だけ体を離し、私を丸ごと抱き込んだ。

「これじゃ腕回せないよ」
「こんなときに誰かに手振られるよりはましだ」
「そんなに拗ねなくても」
「……拗ねてねえ」
「じゃあ不貞腐れる」
「お前、」

からかえる雰囲気ではないと思うのだけれど、なるべく早く跡部の機嫌を直してあげたい。バレンタインデーという、恋人達のためにあるような、幸せであるはずの日なのに、朝からこの調子なのはいわば私のせいだ。どうすれば跡部の機嫌が直るのか、なんとなくはわかっている。だけど私の中の素直じゃない私がその言葉を奥へ奥へ押しやって、口元へ持ってきてくれない。

「気に食わねえ」
「うん」
「今日はバレンタインだってのに何も持ってこねーし」
「うん。でもアンタ、どうせ毎年たくさん貰うし結局消費に困るでしょ」
「そんなの、お前が気にすることじゃねーだろ」

「そんなことでお前のが貰えないなら全部受け取らなかった」。そこまで言ってくれる跡部を愛おしいとは思うのに、言葉には出てこない。それを出すには、もう少し時間がいる。それまで彼の機嫌をこれ以上悪くしないようにしている今日の私は、今までにないくらい寛大だ。まあもうすぐで卒業だし、少しくらいの羞恥になら耐えてやると、そんなものだ。その中に跡部を独占しているという少しの優越感があるのは否めない。

「それは、女の子が可哀相だから駄目」
「変な女。少しくらい嫉妬とかしたらどうなんだよ」
「これでも微妙にしてるよ」
「微妙にだろ。もっとしろ」
「無理だよ」

だって今日の跡部は、こんなにも全身で私に気持ちを伝えてくれている。それを疑おうと思うほど私は自分に自信がないわけではないし、それがわからないと言うほど、私と跡部の付き合いは短くない。

「跡部、こんなに私のこと好きじゃない」
「それも」
「ん?」
「俺はって呼んでんだろ」
「うん」
「だったらお前は景吾だろ」
「名前がよかったの?」
「……」
「言ってくれればいつでも呼んだのに」

結局はこの人もひねくれているわけで。へその曲がった男女が付き合って、思いを伝え合わなくて、だけど似たもの同士だから相手の気持ちはわかる。波長が合うから、私安心していた。普段は跡部もそうなのだろうと思う。だけどバレンタインは、恋する女の子と、恋する男の子の大事な日だ。それは、恋人からチョコレートを貰えない男の方からすると、気持ちが離れたかもしれないと思うほどのものになるのだろうか? そうかもしれない、と私は思う。普段気持ちを言わないなら尚更に。

「景吾」
「……」
「ねえ景吾、」
「もっと呼べ」
「景吾」
「……」
「……何回言えばいいの」
「ずっとだ」
「そんな無茶な」

景吾、景吾、と頭の中で彼の名を呼ぶ。それに違和感は少しもなくて、幼い頃は彼のことをそう呼んでいたと思った。
外国に住んでいたから年に数回しか会わなかったけれど、その分、会ったときはとても嬉しく思っていた。だけど歳を重ねるにつれ、小学校高学年にもなれば男の幼馴染を名前で呼ぶのは少し気恥ずかしくて。今までよりも開いていく心の距離に寂しいとは思いつつも、仕方がないか、と何かと淡白な私は諦めていたのかもしれない。彼から告白されたとき、これで距離が縮まると思うと泣きたくなるくらい嬉しかったのに、ひねくれ曲がった私は、「いいよ」とそれだけ言うに留まった。今思えば、あの拒否権を与えられている気のしない告白は、景吾が断られることを少し、怖がっていたのかもしれないと思う。

「景吾」
「ああ」
「機嫌直った?」
「……」
「そう……」

ふ、と息をつく。
景吾は私からの気持ちがないと思っているのだろうか? 告白の仕方にも拒否権がなかったから、惰性で付き合っているとでも思われているのかもしれないと思う。だけど、冗談じゃないわ、と自分の思考に対して自分でめいっぱいの拒否をした。それは違う。私は彼を好いている。今、世界で一番彼を想っていると本気で言ってしまえるくらいには。

私は、景吾の機嫌がよくなるであろう魔法の一言を知っていた。言ってしまえば、彼はきっと喜ぶだろうと、わかっていた。
だから私の中の天邪鬼、少しだけどこかへいっていてくれないか、と自分の中のそれを追い出してしまいたいと。

「景吾」
「……何だよ」
「愛してる」

テニスボールの音がする。景吾の肩越しに、日吉が驚いた目でこっちを見ているのが見えた。まさか、さんがそんなこと。そう思っているのがしっかり見て取れる彼の素直な目に苦笑する。ああそうだ。私は絶対こんなこと言わない。だって天性の天邪鬼。嬉しくても、泣きたくても、照れても、顔には出さないひねくれ者。跡部にだって、日吉にだって負けないくらい素直じゃない、可愛くない性格の女の子。
だけど恋をしている。
大切だと思う、景吾を想う心を持っている。大きな声でそれを叫ぶことはできないけれど、景吾に伝わるくらいなら、例えば一番近いコートにいた日吉に、かすかに聞こえてしまうくらいになら。

「……やっと言ったな」
「待たせてごめんね」
「赦す」
「ありがと」

愛してる、愛してる。私の心臓がずっとそれを叫んでいると、景吾はちゃんと知っている。彼の引き締まった身体に身を預けた。胸のところから聞こえてくるトクントクンは、とても心地のいい音だ。普段私に嫉妬の視線を向けている跡部のファンが、流石に気を使ってくれているのか今日はあまり声がしない。だけどギャラリーは確かにいるというのに、跡部はそんなことを気にすることなく私に甘く口付けた。

「俺も、愛してる」

知ってる、と言って、

俺以外見るんじゃねえ

(元々他の男に目移りなんて出来るはずないと、心の中で呟いた)
  • 2012/03/11
  • リライト
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