女の子達がキャーキャー言う中、彼を特別視することなく〝同級生〟として扱っていた私は、周囲の生徒に変わり者呼ばわりされることもなくはなかった。
別に雲の上の人ってわけでもないでしょうに。
そう思いながらも、実は私が一番、彼の存在が自分の手の届かないところにあると思っていたのかもしれない。
「」
「はいはい何ですか王子様」
「……」
「あれ、嫌だった?」
ごめんね、と軽く謝ると、越前は私に対して真っ向からため息をついた。
〝テニス部期待の一年エース〟だった越前リョーマは、現在順調に時の流れに従って中学二年生になっている。人気の度合いが芸能人と比べても見劣りしなかった当時の三年生が引退・卒業した後、当然のように以前よりも騒がれるようになった越前は、女子に優しくするだとかいう紳士的な思考は持ち合わせていないように思えた。
それでも人気というのは衰えないものだ。文武両道を掲げた青春学園テニス部に在籍し、一年の時点でレギュラーを勝ち取った彼にとって、なるべくしてなったというような運命にも似た物であると思う。
加えて英語ができるうえ器量もいいとなればそれはもうおモテになることであろう、と一年の頃から同じクラスに配属され、図書委員として交流を持っていた私は思っていた。
テニス部という集団が美形ぞろいであることは認める。特にレギュラー陣は本当に群を抜いていると。
だけど私はそんなものには興味がないのだ。
性格の割りに、とか意外だ、とか言われる読書の趣味さえ充実していればそれでいい。
テニス部と関わって私に何か得をもたらすか? 答えはNOであるし、彼等にとってもテニス以外のことに時間を割いて全国優勝を逃す手はないだろう。去年手に入れたその座を簡単に渡す必要は微塵もない。
「誰に吹き込まれたわけ」
「何を」
「さっきの……」
「ああ、〝王子様〟?」
「……」
「歩いてれば嫌でも耳に入るよ。三年生が卒業してずっとでしょ」
「まあ……」
「大変だね、越前も」
わかってるなら言わないでくれる、と越前。彼は別に驕ってもいないし、自分の実力をむやみやたらに見せびらかしてもいない、と私は思っている。実際に強いのだろうし、勝負事に手を抜くのは相手に失礼だという考え方は嫌いではない。とは言っても、私は越前が試合をしているところをまともに見た事がなかった。
「ねえ」
「何」
「今更だけどさ、越前て強いの?」
「そう思うなら試合くればいいじゃん」
「嫌だよ」
一年の頃からずっとそうだった。誰に誘われても、本人に言われても、私は彼の試合を見にいきはしなかった。
だって、私まで彼に惚れてしまったらどうするの。
越前リョーマがかっこいいことなんて百も承知だ。だけどずっと〝図書委員〟の位置に留まって友人としていられたら楽しいだろうなあ、なんて思わせる人柄の彼を相手に恋愛感情なんてものを抱いてはいけないと、私はずっとそう思っていた。私は近すぎる距離感なんて求めていない。ただ、心地いい距離のままに友人として楽しい会話をしていられたらいいのだ。
私はその空間を壊したくない。
「ってさ」
「うん」
「本以外のことに興味ない?」
「何でそう思った?」
「何かそんな感じする」
「俺の事も、クラスメイトくらいにしか思ってなさそう」「うん」。越前は面白い物を見たかのような表情を私に見せた。嬉しそうだな、と思う。同時にずっとそうであれる保障のない自分を恨めしくも思う。
「私さあ、越前と今こうやって友達できてるの楽しいよ」
「ふーん。そうなんだ?」
「うん。だからあんま無闇やたらに踏み込んでこないで、ずっと友達でいてね」
にこり、と笑ってみせて、「そういえば最初の用件なんだったの」と一番初めに話題を戻す。
嬉しそうな顔を見せたってことは、越前だってそう思っているんでしょう。友達の距離が楽しいと、そう思ってくれているんでしょう。だったら、私に越前を好きにさせないでね。そう心の中で呟いて、閉館間際に変更しなくてはならない【今日の日付】と【返却日】のプレートを差し替え、曜日の所に火曜日のプレートを入れてから、越前が元あった場所がわからないと言った本を本棚に直しにいった。
横に並んで気付く。初めは私の方が高かった身長が、越前の方が少し高くなっていることに。
「あの、越前君!」
あ、またか。そう思って足を止めた。
清掃時間、ジャンケンに負けた私がゴミ箱を運んでいる途中だった。可愛らしい女の子の声が裏庭から聞こえて、そういえば越前は、今週裏庭の掃除だったな、と割り当てを思い出して深いため息をつく。何で裏庭に近い廊下なんか使ったんだろう。なぜか彼のそういうイベントに遭遇する確率の高い私は、今月に入ってもう三回目にもなるその行事を見てみぬふりをしてゴミ箱を運ぼうと歩き出した。
「好きな子いるから」
……聞かなければよかったと思った。
そっか、越前好きな子いるのか。というか、そもそも恋愛とかに興味ある人だったのか。
私は今まで越前リョーマを誤解していたのかな、と思う。〝友達〟なのになあ、とため息をついてから、若干重く感じられたゴミ箱を抱えなおした。
好きな子がいるなら、女友達は邪魔になる。誤解を招くと、越前がその子に告白したとき信じてもらえない可能性もある。「さんと付き合ってるんじゃないの?」なんて言われたら、友達の私としてはとても申し訳ない。
男同士だったらなあ、と考えた。私が男であったなら、越前の恋を全力で応援しながらも彼の隣で馬鹿話ばかりしていられただろうに。
「最近何かよそよそしい」
「誰が?」
「」
「私が? まさか」
「絶対おかしい」
「仮にそうだとして、理由は?」
「思い当たらないけど」
あの日から、私は少しずつ越前と距離を置くことを決めた。友人なんだ。少しはなれた所で友達としての関係は変わらないという確信もある。それを彼に気取られるとは一切思っていなかったけれど、そういえば越前リョーマという人間は妙に鋭い部分があったな、と思い出せば何の不思議もなかった。
誤魔化そう。
一発でその回答に結びついた私は、いつも通りの態度でそれを実行する。だけど彼は一向に納得する様子はなく、眉間に皺まで刻んでしまって、越前は不機嫌な顔でもイケメンだなあ、なんて思ってしまった。
「」
「わかった」
白状するよ。彼にしては珍しいジトッとした視線で見つめられて耐えられなかった私は両手を上げて降参する。駄目だ。越前に隠し事なんてしようと思うもんじゃない。
「越前、好きな子いるんでしょ」
「何で?」
「一週間くらい前だったかな。ほら、裏庭で」
「……またいたんだ?」
「ゴミ捨ての担当になったんだよ」
そのときに聞こえたんだ、と事実を口にすると、越前は不服そうな顔になった。何がそうさせているのかは、私には皆目検討もつかない。
「何でがそんなこと気にする必要があるわけ? しかも避けるとか、おかしいんじゃな、」
「越前」
言葉を遮られたことにまた一層不機嫌な顔をして、彼はぶっきらぼうに何、と言った。
「女の子は誤解するよ」
「は?」
「私と一緒にいすぎると、付きあってるんじゃないかと思われる。告白して信じてもらえないなんて嫌でしょ」
だからだよ。そう言い残して、私は本の整理に戻った。
自分でもずるいと思う。こんなの言い逃げだ。わかっている。だけどこれ以上話していたくなかった。越前と話している時間はとても楽しい。それが失われるかもしれないことを私に思い出させてほしくなかった。考えれば考えるほど、男に生まれればよかったなんて思っている自分に気付きたくも、なかった。
私はとっくに越前が 。
閉館時間になりプレートを入れ替える。月曜日から火曜日になったプレートを見て、一年に二回ほど回ってくる図書室のカウンター当番も、もう暫くはないのだと思った。クラスの中でもよく話したけれど、そこでは他に生徒もいるから今のような気まずさはないはずだ。いつもの日々に戻るだけ。
――だけど私は一年のときから、カウンター当番が楽しかった。
越前は覚えていないかもしれないけど、彼と初めて話したのは、一年の初めのカウンター当番のときだった。それ以前の交流は、私がテニス部に興味がなかったためにほとんどない。だけど初めて話したあのときから、彼の口から「」と呼ばれるのが、他の人のそれよりも心地がよかった。
なんだ、結局最初から惚れていたんじゃないか。
一目惚れにも似たそれにため息をつきたい衝動にかられるが、目の前にまだ越前がいることを思い出して堪えた。
気付いてしまったらもう戻れない。知らなかった頃のようには、もう振舞えない。
私の態度も、いつもと比べればおかしかったかもしれない。だけど彼の態度も今日はおかしい。避けていたことが気に障ったのか、私が会話を途中でやめてしまい、それ以降応じなかったのが駄目だったのか、時折何か言いたげに私の方を見るようになった。
「」
きた、と思った。
カバンを持ち上げ、帰る体制になれば越前は話しかけてくると思った。図書室にはもう誰もいない。
私と越前しか、いない。
ゆっくり振り返る。意識したわけではないけれど、いつもよりもゆっくりになってしまった。本当は話なんか聞きたくない。彼の口から恋愛の相談なんてされてしまったら、私は一人どうすればいいのだろう。越前の恋を応援しながら、自分の心をすり減らしている滑稽な自分を思い浮かべて内心泣きそうになりながら、彼の視線をしっかり受け止めた。
目を逸らしてはいけない気がした。
「馬鹿な頭で勝手に考え込んで勝手に誤解するのやめてくれる」
「は?」
「は馬鹿だから、俺に好きな人がいるって知ったら誰なのか聞いてくると思ってた」
「ちょっと待って。何の話してるの?」
「越前リョーマの好きな人の話」
聞きたくないって言ってるのに。いや、そういえば口には出していなかった。私は馬鹿か。もっと早くに口に出しておけばよかったんじゃないのか。本当に馬鹿だな。
はあ、と堪えたはずのため息をついて、帰るね、と図書室を出た。
「、俺の好きな人聞きたくないんだ?」
「聞きたくない」
「自分のことなのに」
「それでも…………ん?」
変な言葉が聞こえた。自分のことなのに? 越前は日本語を間違っている。それは越前のことであって、私のことではない。本来私には関係すらない。何を言っているんだ、という呆れた目をむけると、彼は意地の悪い笑みを浮かべていた。
「何その顔」
「って馬鹿だよね」
「おいこら二回も言うな」
「の馬鹿なとことか、本にしか興味なさそうなとことか、結構鈍感なとことか、自分で勝手に考えてよく勘違いしてるとことか」
「やめて恥ずかしい何の羞恥プレイなの」
「俺を特別視しようとしないところとか、好き」
越前が赤く見えるのは、窓から入ってくる夕日のせいだろうか。それとも彼の顔が今、赤くなっているからなのか。どちらもが混ざり合っているような気がする私は、絶句してしまって。
「……あ、うん。そう」
「何その反応」
「友達、だしね?」
「違うってば」
「だったら何だって言うの。私いい加減帰りた、」
「が好き」
鈍恋
- 2011/10/09
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