煩いくらいにかまってくる彼女が、今日は朝から姿を現さないな、と思ったところで自分の思考回路が侵されていることに気づいた。


「鬱陶しいわ
「……うっさい」

絡んできた忍足を一蹴して、私は机の上に突っ伏した。
誰かに渡すチョコレートが入っていないカバンを見てため息をつき、「うあぁあ」と呻き声を漏らす。

『アンタもどうせいっぱい貰うんだろうなあ』
さんには縁遠そうなイベントですよね』
『何でよ』
『料理、できるんですか?』

数日前のこの会話が発端だ。
いつものごとく絡んだ私に、いつものごとく棘のある言葉を吐く後輩。いつもと違ったのは、会話のネタが目前に迫るバレンタインだったこと。
そりゃ、私は料理なんてできませんよ。母さんの手伝いだってろくにやりやしませんよ。でも米炊けてそれなりに美味しい味噌汁さえ作れれば、そこは日本人、生きていけると思うのだ。そんなアバウトで締りの無い性格に、彼は時々ため息をついていなかったか。

私に比べ酷くキッチリとした後輩は、それこそピシッとやるべきことをやって、料理だってきっと私の何倍も上手いのだろう。男のくせに。

女の私に彼は「大らかというか、大雑把なんですよ」と言い、男の彼に私は「真っ直ぐというか、糞真面目」と言う。私達はそういう関係だった。
男だ女だという性別をアレコレ考えたことはない。それは私が元々男子も女子も分け隔てないからだ。

、日吉にちゃんとチョコ持ってきたんか? つーか俺にはないん?」
「ないですよー」
「……ほんまに失敗したんか」
「見事なまでに」
「何でやねん! 湯煎で溶かして型に流し込んだら一応食えるもんは作れるやろ!!」
「何でだろうねえ……」

私だって初めから難しいものを作ろうとしたわけではなく、普通に忍足が言うような、〝食べられるもの〟を作るつもりだったのだ。型だってちゃんと用意して、箱だって買ってきて、リボンも何気に真面目に選んで。それなのにそんな単純な作業すら上手くできない。「チョコレートは難しいのよ」と言う言葉が励ましにもならないのは、難しくたってとりあえず食べられるものを大体誰でも作れているのを見ているから。

味覚がおかしいというわけではないのだ。ただ、酷く不器用なだけで。

『見てろよ! 絶対ちゃんと人に見せても大丈夫なもの作ってくるからな!!』

そんな啖呵を切って見せただけに合わせる顔がなく、恐らく朝からチョコレートを貰っているであろう彼と会わないよう、ずっとクラスの中でこうしてだれているわけで。
朝こそ鬱陶しげだった忍足も次第に同情的になり、いよいよ教室も居たたまれなくなってきたこの現状をどう思ったのか、昼には忍足と向日二人して私を食堂へ強制連行した。

「奢ってやるから元気だせよ
「私はそんな安くねーよ。あ、おばちゃん、うどんお願いします」
「食うんかい!」

「そりゃ、貰える物は貰いますよ」。ヘラッと乾いた笑いを漏らせば二人して私の落ち込み具合に言葉を噤む。さっさとうどんを平らげて教室に退散しよう。そして友チョコをパクパク食べよう。明日ニキビができていようが、とりあえず目先の気分回復のほうが明らかに優先順位は上だ。そんなことを思いながら、ムードもへったくれもないうどんを、忍足と向日を前にしてひたすらに食べる。あ、おいしい。流石氷帝の食堂だわ、と言うと、二人は苦笑した。

普段明るく楽観的な私が落ち込むことなどあまりない。が、時にも落ち込むことくらいある。そんな時、大概慰めてくれるのが二人だ。いい奴等。
中学に上がってからの付き合いだが、忍足とは一年のときからずっと同じクラスだ。彼とダブルスペアの向日ともすぐに打ち解けて、私はこんな性格だからファンからの反感は買っていない。おかげでずっとこうして〝悪友〟が続いている。なんとなく、一生変わらないような気もしていたりする。なんとなく。


うちの部活の先輩達は妙に目立つわけで。相変わらず女子の視線を集めている忍足さん達を見つけまいとするほうが難しい。
昼になって、今日は珍しく学食だった俺がそこにいる彼女に気づいたときは少しムカッとした。一緒にいる忍足さんと向日さんは苦笑まじりでさんを見ている。彼女があの二人といることなんて珍しくはない。自分だってそれに苛立っているわけではないのだ。
どうせ、例のチョコレートを失敗したのだろう。それならそうと、諦めてそう言ってくればいい。そうすれば俺にだって何らかの対処が取れるというのに、避けられてはどうすることもできないではないか。

(いつも煩いくらい付きまとうくせに)

何が楽しいのかはわからないが、彼女が俺に絡んでくるのはもう日常茶飯事だ。それがないと酷く落ち着かない。変な感じがする。あるべきはずのものがない、確かな違和感を感じる。それは確実にのせいなのに。

ふ、とこちらに気づいた忍足さんがニヤッという笑みを浮かべた。それにもまたイラッとする。彼がさんの肩をつんつんと突き、俺の方を指差した。

「!」

目が合った瞬間、彼女は少し気まずそうな顔をして、スッとうどんに視線を戻す。おい、俺よりもうどんのほうが重要か。その様子を見て忍足さんが珍しく困ったような顔をするので、何であの人が困るんだと余計にわけがわからなくなった。元々わけのわからない人だけど。


(何で今日に限っているんだよおおおおお!!!)

普段お弁当のはずの日吉がなぜ学食に! それにわざわざ気づかせた忍足に睨みをきかせると、「目つき目つき」と苦笑した。

「何で目逸らすんだよ」
「気まずいだろうが! あんなこと言った後でこんな状態じゃ気まずいだろうが!」
「〝あんなこと〟とか〝こんな状態〟とか伏せすぎて何が何かわからんわ」
「見てろよ! 絶対ちゃんと人に見せても大丈夫なもの作ってくるからな!! って言っちゃったんだよ馬鹿!」
「……お前変なとこで謙虚だよなあ……絶対驚くくらい美味しいもの作ってくるからな!! くらい言うと思ってたのに」
「そんなの私に作れるはずがない!」
「何や、わかっとるやないか」

忍足がニタッと笑った。その笑顔やめろ、と心の底から思うがやめてくれるとも思わない。笑顔に対してはあえて突っ込まず、「何、その含み」と最後の一口を食べ終えた。

「日吉もそれくらいわかっとるやろ。はなから期待なんかしとらんて」
「それはそれでムカつくんですが……」
「今ムカついてんのは日吉のほうやで」
「何で」
「お前朝から避けてるやろ。可哀相になあ……待ってるかもしらんのになあ……」

だから、渡すチョコがないんだって。心の中で突っ込んで、お茶を飲み干す。本当は渡したかった。忍足にも向日にもあげないチョコレートっていう気持ちの塊みたいな、女の子の行事の中心にあるようなあれを、かの後輩に渡したかったのだ。できるなら手作りがいいと思っていたし、売り言葉に買い言葉であんなことになってしまったが、もうすぐ卒業してしまう身としては、例え苦い思い出になってしまったとしても彼に〝気持ち〟を受け取ってほしかった。チョコレートなんてそのための媒介のような、口実のようなものだと思っている。だからそれが無くたって本当は言えるのだ。あんな一言の言葉くらい。
だけど言ったことは曲げられない私の性格が、チョコレートがないことで言うことを許してくれなかった。

「話に行ってみたらどうなん」
「もうちょっと……考える」

これは教室に帰っても友チョコで納まるようなものではなくなってしまったな、と思った。


「日吉!」

結局放課後まで頭の中はまとまらなかった。しかしこのままではいけない、と日吉を呼び止めたのは私の中のけなしささやかな勇気だ。だが日吉は思ったよりも機嫌が悪いらしく、おそらく私だと気づいているだろうに立ち止まってはくれなかった。これから部活なのだから遅れるのは嫌だろう。日吉は真面目なのだ。

「ねえ日吉、ちょっと待ってよ。日吉ってば、」
「……煩いです」

あまりに呼ぶので鬱陶しくなったのか、何度目かでようやく日吉が立ち止まり、振り返った。話を聞いてくれる気になったことに私はほっと息をつく。

「何でシカトすんの」
「朝から避けてたのはアナタの方でしょう」
「そう……だけど…………ごめんって。それは――」
「どうせチョコを作るのを失敗して合わせる顔がないとか思ってたんでしょう」

何でわかんのエスパー!? パッと日吉の顔を見ると、呆れたようにため息をついた。ラケットバッグを肩にかけ直し、視線を少しずらしたまま、彼は口を開く。

「……別に、さんが食べられるものを作ってくるなんて期待してませんよ」
「酷い」
「事実じゃないですか」

そうだけど。何も言えなくなって黙り込むと、日吉も話さないので気まずい空気になった。また、日吉のため息が聞こえる。

さん」
「……何」
「どうぞ」

視線を上げてみると、日吉が私に紙袋を押し付けるようにして突き出していた。

「何、これ」
「食べられるものがこういうものだって確認しておいてください」
「は」
「来年までに食べられるもの、練習しておいてください」
「ちょっと、私は……」

サッと身を翻し、日吉が向かう先は部室だ。私の制止の声を聞いているのかいないのか。来年の二月十四日もここにくることになりそうだと思いながら、紙袋の中身を取り出す。

「美味しいし」

やっぱり私は女らしくなくて、日吉は丁寧でそつがない。
どうせ私が美味しいものを作ってこられないと思っていたからって、彼がこれを作ってくる理由があっただろうか? 可愛い行動にさっきまであった頭の中のぐるぐるは霧散していた。
クッキーの上品な甘さが口に広がる。甘すぎず、私の好みにピッタリ合ったそれを、家に帰ってゆっくり大事に食べようと妙に軽い足取りで校門へ向かった。

相当侵食されていると思う、心の奥底まで

(愛を感じるなあ)
  • 2012/03/08
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