「やっぱ無理……」

メールをしようとボタンに指を押し付けた瞬間にその指から力を抜く。
開きっぱなしのケータイがベッドの上に音を立てて落ちた。

「あんたのそういう、純粋なところが好き」

そうしょっちゅう友人に言われるこの性格はそんなに好かれるものじゃない。少なくとも今の私からすればそうだった。
繁華街にいけばナンパが跋扈しているような今時、幼馴染の男の子にメールもできないような、そんなおくてな女の何がいいのか。
それを問えば帰ってくるのは「現代だからこそ輝く個性よ」というものだった。わけがわからない。

私の部屋から見える向かいの家に目をやる。
幼馴染が住むその家の表札には「幸村」とかかれてあって、あそこに住んでいる同い年の幼馴染の名前は幸村精市。テニス部の部長をやっている、すごく強いらしい人。

メールなんてできるはずがないじゃないか、と応援してくれている友人ズに悪態をつける。

テニス部ってだけで人気者の集まりみたいなもんなのに、その部長じゃね……と。

友人ズは「幼馴染っていう立場を思いっきり利用しなさいよ。思いっきりね!」と意気込んでくれたけれど、私にはそれを利用する術が思いつかないのだ。

夏休みという歓喜きわまる長期休みに、それこそ休日なのに休みがないという表現がそのまま実現されるようなペースでテニス部が朝から夕方まで練習しているのを知っている。
朝早くに出て行って、帰ってくるのは6時くらい。
その間、炎天下の中頑張っているのを、私はずっと知っていた。
朝彼が出て行った向かいの家に「いってらっしゃい」と、夕方に「お疲れ様」と言うのが最近の日課だ。
練習を見に行かないのにはいろんな理由があるから、きっとその姿勢は崩せないけど。

あの煩すぎる雰囲気は私にはあっていないのだ。
それでも平日、練習していた彼を応援するくらいはしていたのに、今はまったくしていない。

いつだったか、彼が言っていた言葉にも影響されて、練習を見に行っていないのだろう、と私は自分に向かって呆れのため息をついた。

「好きな子の応援なら、いつでも嬉しいけどね」

いつもと同じ穏やかな笑みが私の心を突き刺した。
その話は、「いつも応援凄いよね。私だったら煩くて耳塞ぎたくなる」と苦笑交じりに言ったことから始まったものだ。

好きな子の応援なら、ね。

それを聞いたときから、今まで煩い女子の群れを避けて教室の窓から見下ろしながらしていた応援をやめた。
それを聞いたときから、彼のテニスについてわかりやすく触れることをやめた。

「幼馴染なんて地位、今となっては何にも意味ないね……」

ね、精市。

夕日で赤い道路を見ながら声に出したそれは少し震えていて、情けなくなったからそれ以上言うのをやめた。
家の向かいにある、精市の家をぼーっと見つめる。

いつもなら、このくらいの時間に帰ってくるから、今日は他のレギュラーと一緒に寄り道でもしてるのかもしれない。

幼馴染なのにメールもできない私とは違って彼等は男の子だから。

「あーあ、男に生まれたらよかった」

「何で?」
「……え?」

すぐ側で聞こえた、聞きなれた声に緊張が走る。
驚いて振り返ると案の定、間違うはずのない相手がそこにいた。

「精市」
「何見てたの?」
「何も」

「ふうん、変なの」と言った彼はまだ練習帰りの服装のままだ。
まだ帰ってないと思ったら、私の家にきていたのか。

「何でここに?」
「ああ、一応ノックはしたし名前も呼んだよ。気付かなかったが心配になって入ってきただけで」
「嘘っぽい」
「何て?」
「いや、何も」

にっこりと笑顔で牽制されて、私は大人しく黙ってみた。

「何で男に生まれたかったとか言ってたの」
「特に意味はないけど」
って昔から肝心なところばっかり嘘つくよね」

俺だって怒るんだよ、と少し低い声で言って眉をひそめる。
うわあ……綺麗な顔が凄い不満そう。

「怒っても美人。羨まし、いだっ」
「話をはぐらかそうとしない」
「素直な感想」
「嬉しくないよ」

ああ、そう。と素っ気無く返して窓の向こうを見た。

「ほら、また外見てる」
「これが最近の日課だからね。癖になってるんだよ」
「何それ」

そんなに面白いものでもある? と一緒になって外を見る精市にはきっと何もわからないだろう。そんな風にたかをくくっていたのが悪かった。

「俺に言いたいこと、あるんじゃないの?」

にっこりと爽やかな笑みを浮かべて、ベッドの上に落ちていた私のケータイを顔の横で振る。

開きっぱなしの電話帳。
選択されていた名前は、

「俺の名前で止まってる」

この魔王が。

「…………」
「前みたいに連絡してくれたら真っ先に返すのに」
「言うことなんてないよ」
「そう? じゃあこれ何?」
「……仁王のアドレス聞こうと思ってただけ」

「仁王の?」と一層不機嫌そうな言い方をした精市の目は、何で? と聞いていた。
なんでも何も、一番それっぽい人物を挙げてみただけだから特に意味はない。仁王とはよく話すけど、アドレスは持っていないから丁度いいと思っただけだ。

「……ああ、なんだ。また嘘か」

そういうことを言うと焦るからやめて、と、そんなこと言われてもといいたくなる台詞を淡々と言って、私にケータイを差し出す幸村は、何を考えているのだろうか。

「たとえばほら、ね?」

私の気持ちを見透かしたような笑みを浮かべて、言いたいことは言うに限るよ、と言う。
折れろなんてそんな。

素っ気無くしてきて、今までだってその姿勢は崩さなかった。お世辞にも可愛げのある女ではなかっただろう。
その私に、そんなことを言われて嬉しいはずがないのに。

「わかった」
「やっと?」

茶々を入れてくる精市を睨んで、はあ、とため息をつき、そのまま息を吸って一気に言った。

「好き好き好き好き好き好き好き」
「…………何で七回も?」
「小学三年生から今までの七年分だよ。ありがたく受け取りなさい」
「ええ、」

そんなのありなの? と驚いた顔で精市が聞いてくる。
言えって言ったのはそっちだからね、と心の中で呟いた。
「じゃあ」そう呟いた彼はにっこりと笑って私を真っ直ぐに見る。

「好き好き好き好き好き好き好き好き好き」
「……え?」
「俺がを好きな九年分。ありがたく受け取ってくれるんだろ?」
「えぇ……」
「何でそんなに不満そうなのかな」

この男には一生勝てないのでは、と私が危惧したからに決まってるだろうに。

「……なんか、ムードも何もないよね?」
「先にやったのはだよ」

本音が口に出せない

「何か繰り返すと呪いみたいだと思わない?」「そういうこと言うからムードがなくなるんだよ」
  • 2012/04/02
  • あいかわらず
  • 11
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