向日岳人は私の親友が好きだ。


――ピピピピピ

頭の上で鳴る目覚ましが煩い。だけど起こしてくれたことに心底感謝している。嫌な夢を見たと酷く不愉快な内心を、隠すことなく表に出した。誰もいない部屋なのだから隠す必要もなかったわけだが。

「何もこんな日まで……」

気分が悪い。言うまでもなく。
好きな男が自分の親友に告白している夢なんて、なんで見なくちゃならないんだ。そしてどうして夢の中でまで、そいつに恋愛相談なんぞされなくちゃいけないんだ。信じられない無神経さ。私の気持ちも知らないで、夢の中までズケズケと入り込んでくるなと怒鳴りつけてやりたいくらい。それが逆恨みだとわかっているだけに、私は自分が情けなくて仕方がなかった。
悩みに悩んで結局用意することのなかったチョコレートは、作ったところでどうせ気おくれして渡せなかっただろう。巴は忍足にちゃんと渡すんだろうな。もしかしたら向日もお零れくらいはもらえるかもしれない、と思うとそれだけで胃のあたりがムカムカした。そういう小さな何気ない行動が、向日の心を解放しない。

(親友と好きな奴を憎むなんて、嫌な女)

私は今の自分が大嫌いだ。

だらだらと学校へ行く準備をしながら時計を見る。さっき鳴った目覚ましは二回目のものだったのか、と思うが今更急いだりはしない。うちの目覚ましは一度鳴って止めないと、一分間鳴った後一度止まる。その後何回か鳴るが、二回目からは電車がないために遅刻の時間なわけで。

(……サボろうかな)

どうせ惨めな気持ちになるのなら、と思いながら、低血圧の頭をなんとか作動させて制服を身に着けた。


「おはよー!」
「おはようっさい」
「ひっどい!」

快活で明るい私の幼馴染。付き合いはそれこそ生まれたときから。これ以上に分かり合える友人も他にいない。人付き合いの上手くない無愛想な私に自ら付き合うというのもあまりいない。彼女は紛れもなく親友だというのに、今の私には彼女の存在すら触れたくないもののように思えてしまう。

「忍足にチョコ渡した?」
「うん!」
「……そ」

もう一年になる巴と忍足の付き合いは結構順調だ。ただ、その横で泣きを見ている人物を知っているだけに、おおっぴらに幸せを喜んだりはしない。つられて笑いそうになるくらい幸せそうな彼女はとてもキラキラしていて、可愛らしい女の子だ。

「何や。重役出勤やな。もう昼やで」
「煩いよ変態眼鏡」
「ひっど」
「二人そろって同じこと言うなっつの。鬱陶しい」
「機嫌最悪や。巴なんかしたん?」
「最初からこうだったよ」

わかってるくせに。忍足は全部知ってるくせに。ニヤッと笑って座っている私を見下ろすそいつの目を半眼で睨むと「おーこわ」と声がする。鬱陶しい。本当に鬱陶しい。巴と忍足が付き合う前からの悪友としての付き合いは早々変わるものではなく、口から出るのは親友の恋人ではなく悪友に対する辛辣な言葉だ。何を言ったところで忍足は的確に私へ返事をしてくるだろう。それがわかっているからそのままでいられる。それに対して巴は何も言わないけれど、嫉妬とかそういうものはないのか。――……私相手じゃ、嫉妬する気にもならないか。

はそんなんやから彼氏できへんねんて」
「黙れ侑士!!」

反論したのはあろうことか巴である。何だこの女、とまた幼馴染ゆえの遠慮のなさが全面に出てしまい、目を真ん丸にしている忍足に対するフォローが出てこなかった。そんなふうに忍足に反論すること、お前あったのか、と少し意外だ。

はこんな可愛いじゃない! これがわからない男なんかただの男根だわ! 目腐ってんじゃないの!」
「オイコラ。彼氏に下ネタ言うな」
「下ネタじゃない! 精一杯なじってるの!」
「尚悪いわ」

馬鹿じゃないの、と冷めた目で巴を見やると、巴は酷いっ! と二回目の抗議をする。可愛いか可愛くないかと言われたら、私のような奴は可愛くない。笑わないし、イラつくと言葉は悪くなる。女らしさのかけらもない。好きな奴に好きと伝えられる巴のような女の子にはなれない。黙って話を聞いては「ふーん」と軽い返事だし、ろくな慰めは口をつかない。出ていくのは遠慮のない飾り気のない言葉だけ。自分に対して否定的なのは、私の中で巴という存在がコンプレックスだからだ。彼女を好きだ、大切だ、と思いながら、彼女のようになれない自分に不満を感じている。

「ちょっと、どこいくの」
「外。お前ら今日バレンタインなんだから恋人らしくしとけよ。私はそれが鬱陶しいから出てくけど」
私このクラスじゃないよ! 出てくなら私だよ!」
「知らん」

話を聞かないままに扉へ向かう。「」。忍足が含みのある声で私を呼び止めたので、仕方がなく踏みとどまって一言「何」と返事をした。

「チョコ、持ってきたん?」

ニヤッというからかうような笑顔がない彼の笑顔は心配そうに少し不格好だ。だけど元がいいからそれすらかっこよく見える。だけど私はそれに恋情を感じない。忍足は悪友の域を脱しないのに、彼と何の差があるのだろう。私はなぜ彼が好きなんだろう。わけがわからない。アイツは巴のことが好きなのだから、諦めればいいものを。

「……持ってくるわけないだろ」

思いやりのある忍足の声はまるっきりオカンのようだと思いながら、私は教室を後にした。


好きになったのはいつからだったか。一年のときに忍足と同じクラスで、彼のダブルスパートナーである向日と知り合った。思えば最初から、心はフワフワと揺られ、彼の方向へ流されていたような気もする。緩やかになだらかに、傾いていった私の心は、最初こそ気のせいかと思うような小さなものだったというのに、今はとんだ急傾斜だ。いい加減諦めて忘れてくれと自分で思う。
忍足と巴がくっついてから二人で行動することが多くなった私達だけど、結局のところ進展は何もなかった。笑いながら二人を送り出しながらも、その後私に想いを吐露する向日のなんと残酷なこと。彼はそれに気づかずに、私もそれを伝えずに、ずるずると一年間を過ごしてしまったわけで。

明るくて素直なアイツが好きだった。好きだ。忘れられないのは私も同じだというのに、それでも私を頼ってくれるのが内心嬉しくて、拒否するなんて結局はできない。それで向日が満足するならそれもいいと、思ってしまう。

ほら、今なんて昼休みなんだから。アイツがここに来るかもしれないことなんて考えればわかったはずなのに。そして今日会ったら、絶対に愚痴を聞くことになるくらい、わかってたのに。条件反射か? そうかもしれない。屋上の風はまだ冷たかった。春手前の気温が体を冷やすから、ブレザーちゃんと持って来ればよかったと後悔する。

「……?」
「おはよう、向日」
「もう昼だって……何でこんなところにいるんだよ」
「ちょっとね」

言えるわけがないだろ。忍足と巴が鬱陶しくて、なんて。でも苦笑した私の顔を見たら、わかってしまったかもしれないな。「ああ、そっか」そう呟いた彼を見て私は自分を責める。馬鹿。気づかせてどうするんだよ。

「お前、ああいうの苦手だもんな」
「……うん。鬱陶しくてかなわない」
「ハハッ……ひっでえ」

今日向けられる四回目の〝酷い〟。言葉に傷ついたりは全然しないけど、むしろ痛いのは向日の気落ちした表情だった。何かないのか。こんなときくらいフォローの言葉浮かべよ。国語五のくせに、馬鹿みたいな言葉しか浮かばない。気の利いた慰めなんてできない。

「……ごめん。ろくなこと言えない」
「は?」
「あいつ等のこと」
「はあ!? そんなこと気にしてたのかよ!」

そんなことって、と動作停止した私に向日が呆れたようなため息をつく。何だ、何か変なことを言ったか? 記憶の中を探るが、さっきのそれだってそんな呆れられるようなものじゃない気がする。向日が好きだ。気落ちしてるのなんて見たくないし、励ましてあげたいと思うのは私の自己満だけど、それでもおかしいことではない。

はそんなん気にしなくていいんだって」
「え」
「愚痴聞いてくれるだろ? それだけで十分なんだよ。おかげでもうちょいでふっきれそう」

ニッと笑う向日は、さっきまでの暗い表情ではなかった。

――もうちょいでふっきれそう

本当だろうか? 本当だ。この表情は嘘なんて言ってない。呆けたままでいた私の目の前で向日が手を振る。ハッとして、「そう」と素っ気ない返事をしてから、また後悔する。好きな人の前では可愛くなれるなんてそんなのは心底嘘だ。親友をふっきれそうだと言った想い人の言葉に喜ぶも、楽観できるわけではないと落ち込むのを防いでいる私は、結局未だ臆病なまま。

も、ふっきれそうか? 侑士のこと」
「……は?」
「お前、何も言わないけどさ。好きなんだろ?」
「ちょ、ちょっと待って。好き? 私が? 忍足を?」
「違うのか?」
「冗談じゃない! 私は……っ!」

言いかけて思いとどまれたのは正解だ。顔が赤くなる。勢いだけで告白してしまうところだった。伝える気なら勢いは大切だろうが、そんな気は微塵もない。不審そうにしている向日に「何でもない」と言うと、彼は不満そうな顔をした。

「途中でやめるなよ。気になるだろ!」
「何でもないって……」
「俺には言えないことなのかよ」
「…………言えない」
「…………」

まずい流れだな、と思ったころには遅かった。不満そうだ。本当に不満そうだ。今にも頬を膨らましそうな顔を見て、冷や汗が流れる。怒って怖いというわけではなく、喧嘩にでもなったらそれは私が辛い。

「む、向日……」
「クソクソ! 聞くまで動かねえからな!」
「風邪ひくって……」
「てか何でお前ブレザー着てないんだよ!」
「さっさと逃げてきたからだって……」

クシャン、とくしゃみをする。これ以上ここにいたら風邪をひくのは免れないが、向日を一人置いていくなんてまねが私にできるはずもなく。寒さが和らぐかと腕をさする。その手に突然触れた温かいものがなんなのか、気づかないほど私は鈍いわけでもなく、手の感覚もまだ麻痺するほどではなく。

「何これ冷たっ! お前いつからここにいたんだよ馬鹿じゃん!」
「お前だって大概物好きだろ……」
「うわあり得ねえこの女! 親友カップルが鬱陶しいからってこんななるまで屋上いるか普通……」
「それは向日が来ると思ったから……」
「え……」
「あ」

思わず口走ってしまった言葉がなんなのか気づいて驚いたのは向日だけでなく私もだ。最悪。いいことがあると後からくるのは悪いこと。相場はそう決まっているというのに、油断していた。

、」
「何でもない」
「え、ちょ……何でもなくはない、よな?」

振り払おうとした手を握り込まれて体全体が停止する。どうしたものか、この現状。顔が赤くなるのに嫌ってくらい気づいている私は、どうすることもできずに彼から目を背けた。何でスルーしてくれないんだとか、何で手を離さないんだとか、言いたいことはたくさんあるわけで。今この羞恥から逃げられるならあの二人の真ん中に立って熱々の会話を聞いてやってもいいと思うくらいで。

「……俺、次好きになるなら絶対だ」

耳を疑うような台詞にそっちを向けば、少し赤い顔を隠すように口元に手を当てている向日がいて、何事かと、本当に何事かと思う。現実ではない。そうこれは夢なのだ。そんな嬉しい、夢のようなことを、向日が現実で言うなんてありえないと思いながら、だったらこの手の温かさはなんだというのかとリアリストな私が言う。

「……馬鹿、言ってろ」
「本気だからな! ちょっと待ってろよ! 今諦めたりしたら絶交だからな!」

絶交って、ガキか。プッと吹き出すと向日はそれに少し驚いて、それから私の頭を軽く叩いた。
なんてやつ。本当に、人を期待させるのが上手いんだなお前は。

「もう二度と他の奴に傾かない、っていうなら考えてやるよ」

ニヤリと忍足に似た空気の笑みを向け、私は掴まれたままの手を放そうとはせずに、向日を引きずるような形で教室への道を歩く。

「……も、侑士に傾いたりすんなよ?」

はいはい、と笑って言うと、笑いごとじゃないと反論されて、

あいつになんか近付くな

(だからそれは誤解だって、と内心で精一杯否定する)
  • 2010/02/12
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