「煩い出て行け」
惨敗一週間目。まだめげていない俺は、ちゃんと本気でのことが好きだと思う。
「何て手ごわいんだ……」
「おいブン太」
「そこは俺の席だ」。そう言って迷惑そうにするジャッカルは無視して、俺は机に頭を預けた。
何がいけないのか皆目検討も付かない。そりゃそうだ。そもそも会話が成り立ったためしがない。何でこうも拒まれるのかはよくわからなかったが、恐らく下心が見えているからだと思う。勝手に思っているだけだけど。
真田の幼馴染であるらしいが、真田も必要以上のことは教えてくれそうになかった。「知りたければ本人に聞け」の一点張りで、基本的な情報以外は何も言わない。頑固だ。そう思ったが、流石幼馴染。の方も相当に頑固だった。
丸井ブン太が絡んできて煩い。
顔と名前くらいは知っていた。テニス部のレギュラーであることも、自分が生徒会長なのだから全国区の部活の最低情報として認識はしていた。だからといって、同級生の女子達のように色恋沙汰に発展することも無く。
あの日の放課後、生徒会の仕事が長引いて耐えられなかったのが運の尽きか。自分の堪え性のなさには少々呆れた。
家に帰るまで我慢すればよかった。朝の時点で仕事が多そうなのはわかっていたからといって、学校に持っていかなければよかった。思ったところでもう遅い。一週間も前の事実に嘆息したところで、何の生産性もないことはわかりきっていた。
誰もいなくなった生徒会室。部活の終わりを告げるチャイムは鳴った後で、完全下校時刻は目前だった。ケースから取り出したヴァイオリンの弦を弓で揺らす。その感覚に、音に、酔っていた。周りなど見えなくなるほどに。
――パチパチパチ
一曲の終わり。ジャストなタイミングで鳴った一つの拍手に肩が跳ねた。反射的に振り返った扉の向こうで、キラキラした目をしてこちらを見ていた赤い髪の男子――が丸井だったわけだ。彼と一緒にいた煌びやかな面々の中でも異彩を放つその色は、私の目にも印象的で。その後に幼馴染の顔があるのを見つけ、もう少し気を回してくれてもいいのにと思ったのを、弦一郎はしっかり感じ取ったようだった。
「お前が無用心なのが悪い」
「ごもっともで」
はあ、と溜息をつき、私は目の前にいる見慣れた顔から視線を逸らした。呆れたような、それでいて慣れてもいるような目で見られているのを感じて、チラリとそちらを窺うと、彼はふっと息を吐いた。
「何溜息ついてんの」
「いや、お前も頑固だと思っただけだ」
「……弦一郎には言われたくない」
「そうか」
気にする素振りも見せないことに少し悔しさを感じながら、教科書を開く。
「丸井は悪い奴じゃないぞ」
「は?」
「会話も出来ないと騒いでいたぞ。話くらい聞いてやってもいいだろう」
「……弦一郎がそんなこと言うの、珍しいな」
「そうだな」。言いながらもノートにシャーペンを走らせる様子を、私は静かに見ていた。弦一郎の手が数学のワークを一ページ捲るころ、「じゃあ」と声をかけると、彼の手は思ったよりも容易に止まる。
「ここに、連れて来ればいいんじゃない」
少し見開かれた弦一郎の目。それに少し優越感を感じながら、「わかった」というその返事をしっかり耳で拾った私は、頭の中で「あーあ」と呆れるもう一人の自分に気付いていた。
「勉強会ぃ?」
「そうだ」
突然の真田の誘いにげっと思った。仕方がない。元々勉強が好きな方ではないのだから。真田もそれを知っているはずで、今はテスト前ではないはずで、何でそんな、勉強会を開こうなどと思ったのかはよくわからない。それはこれから、真田が説明してくれるような気がした。
「週に二回、とな。やる気があるなら来てもかまわん」
「! と!?」
「数学は俺よりもできるぞ」。そう言った真田は、恐らく初めから俺が渋るなどとは思っていないだろう。普段色恋沙汰を「くだらん!」と一蹴しているにも関わらず、どういう心境の変化だろうか。俺は正直、それが不気味でしかたがなかった。しかし俺自身の口からは、「行く!」と当然のように言葉が紡がれていて、本当にそれでよかったのだろうか、と思う暇もなく、真田からは了承の返事が返ってきた。
何はともあれ、近づく機会らしきものは得られたと、開き直る他ないだろう。
は確かに、理数系に関しては真田よりも頭がよかった。しかし。
「だから、そこはそうじゃなくてこう。何回教えれば理解すんだお前」
スパルタ具合も真田に負けず劣らずで、俺はさっきから彼女の眉間の皺を見ている。
理系で頭いい奴の説明って何でこんなにわかり辛いんだろうか。おそらくそれは、彼女等が簡単に理解できてしまうから、何がわからないのかがわからないからだ。そういう奴は他にもいる。知っている。教師にだっている。
「教えてもらってる側なのに悪いけど! の説明わけわかんねーから!!」
「はあ!?」
頭がいいことはもう、十分すぎるほど知っているのだ。成績だっていつでも上位キープで、一位を競う位置にいつもいる。でも。
「、実は文系苦手だろ。特に日本語の小説!!」
「なっ! 確かに理数には劣るけど、苦手というほどの点数じゃない!」
「理数が死ぬほどできるにとっていい点数じゃないと見た!」
「くっ……!」
「二人とも、静かに勉強をせんか!」
と言い合いになっていると、真田から喝が飛んだ。「お前のせいで弦一郎に怒られた……!」とから不満の声が上がる。真田は溜息をついて「お前達は少し休憩を入れろ」と言いながら、茶を持ってくると言って部屋を出て行った。
「……」
「……」
「なんだよ」
「お前、意外と口悪いんだな」
「喧嘩売ってんのか」
ギロリ。手馴れた様子の睨みは迫力があって少し怖い。普段壇上で言葉を発するときは、しっかりして落ち着いた、完成された文章を喋るものだから知らなかった。今までのことを考えるなら、今日がとの初めてのまともな会話だ。それを思うと顔がニヤける。
「、ヴァイオリン好きなのか?」
「煩いぞお前」
「休憩中なんだからいいだろ」
「……」
やっぱ、雑談はしてくれないか。苦笑しながらノートの上の消しゴムのカスを集め、ゴミ箱を引き寄せた。
「……趣味だ」
「え?」
「ヴァイオリンだろ。……習ったわけじゃない」
「家にあったから」。何でも今は専業主婦の母親は音大の卒業生であるらしく、それが幼い頃からヴァイオリンに触れる機会になったのだという。そんなこと、話してくれる気になったんだな。それがとにかくひたすらに嬉しい。
一歩前進、ってこういう時に使うべき言葉だと思う。
「なあ」
「何だよ」
「お前、思ったより口悪いんだな」
「やっぱ喧嘩売ってるだろ!」
「それさっきも聞いたぞ!」。彼女は今までよりも大きな声を出し、俺の方を向いた。ニヤける俺の顔を見て怪訝そうにしながら、眉間に皺を蓄える。それは癖なのか? それも、今度機会があれば聞いてみたい。
「口は悪いわ短気だわ、素直じゃないわ国語は苦手だわ」
「何が言いたい」
「でも好きだなーって言いたい」
虚を付かれたように目を見開き、ゆっくりとそれを閉じて溜息をつくと、は困ったように眉をゆがめ、そして口元に笑みを乗せた。あ、その顔可愛い。言ってやりたいことと聞きたいことがどんどん溜まっていく。そしてその答えを想像しながら、聞く機会を窺うのが酷く楽しい。それってもう、〝恋〟ってやつだろ? そんなことを言ったら理系のは呆れるだろうか。
「変な奴」
まだまだ先は長いようで
- 2010/05/08
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