真っ白な髪が日に輝いていた。その眩しさに手で光を遮り視界を狭める。ああ、天使のようだな、と私は時々そんなことを考えて彼を見る。
彼はそれに気付いて振り返ると、「おはようございます」と柔らかい笑顔を向けた。それに私も精一杯の笑みで返すのだ。

呆然と立っていた私に声をかけてくれたのがあなただったから、私は今もこうして笑っていられるのだとふと考える。


嗅ぎ慣れない異臭に眉を顰めた。帰ってくる前の胸騒ぎと、町の入り口からでも強烈に感じる鉄の臭い。一歩を踏み入れるまでもなく目に付いた無残にも破壊された家屋の屋根や、大きな弾痕の残る壁の連なり。生気の無い町の空気は、人一人の気配すら感じなかった。

(……三時間前は、いつも通りだった)

冷や汗が背を伝う。この先へ踏み入れてはならないと、私の本能が警鐘を鳴らしていた。けれどそこへ踏み入れないわけにもいかないのだ。
その町には、私の家がある。仕事が休みの彼が、私の代わりにパンと一緒に売りに出すジャムを煮詰めてくれているはずなのだ。
近頃ガーデニングにはまっている義父と義母が、今日も花に水をやっているはずなのだ。

震えて覚束ない足で何とか一歩目を踏み出す。二歩、三歩と確かめるように町へ入った途端、一層強まった異様な空気に嘔気がせり上がった。とてつもない不安が私を襲う。まさか、そんな、嘘、嫌、嫌、嫌だ……! 錯乱したようになって駆け出す。甘く煮てパンに飾るはずだった林檎を袋ごと落として、一散に駆ける。
異常に早い脈拍が私の頭を真っ白にしていくようだった。

町の奥へ入っていけば入っていくほど、鉄錆の臭いは強くなる。

家の玄関が開いていた。

割れた窓に壊れた植木鉢、壁には痛々しい銃弾の痕が残っている。私が町を出るまでとは一変したその様子に、私は自分の幸せが壊れる音を聞いた。

ゴクリと吐き気と一緒に唾を飲み込む。それでも迫ってくる嘔吐感を必死に下して、私は家の中に足先を向けた。暗い室内はめちゃくちゃになっていて、彼と一緒に食事を囲んだテーブルが割れて、ボロボロの椅子が四つ、無残に転がっている。
休日に二人で本を読んでまったり過ごしたリビングは見る影も無い。壊れたラジオがジジジ、と不安を煽る音を立てている。破れたカーテンから差し込む光は、じっとりとしているように見えて室内を暗く照らすだけだ。

「……あなた……? あなた、居るなら返事をして……! あなた……!」

静かに呼びかけたはずの声が徐々に大きくなっていく。彼が居たのは、キッチンだ。そう思い、動きたくないと我侭を言う足に鞭打って再び歩き出した。

暗いキッチンの中には人の影がない。彼がかき混ぜていた面影のある鍋は倒れ、中のとろとろになった砂糖水が外へ流れ出ていた。触るとまだ仄かに温かく、ここで彼が私を待ちながらジャムをかき回していたことを鮮明にイメージさせる。その鍋から滴る甘い液体の先に、大きな赤い水溜りがあった。

「……あ……」

その中に、銀色の光沢が見えた。自分の左手の薬指にあるのと同じ細いリングは、彼が欠かさず磨いていたためか血液の中でも変わらず光っていた。
自然と涙が溢れ出す。強烈に叩き込まれる愛しい人を失った現実に声すら上がらない。その場にへたり込むと、私は呆然としたまま、無意識に彼の指輪に手を伸ばしていた。

「待って!!!」

背後からの声にビクリとすると同時に、伸びていた右手が捕まれた。それに再び驚いて、私はその手を辿って持ち主の顔を見る。
真っ白な髪をした、左目の上に逆になった星のマークのある、男の子だった。走ってきたのか体温が少し高く、汗をかいている。はあ、はあ、荒い息をして、けれど私の手首を離すどころか力は強く、押しとどめるように握っていた。

「……あ、の……」

不思議と、今まで強くあった不安感と嘔吐感がましになっている。周囲の状況を少し冷静に見れる程度には、私は落ち着いていた。息を整えているせいで何も言わないでいる彼に、戸惑いながら声をかけると、彼は未だ整いきっていない息を深呼吸で無理矢理調えて、辛そうに歪めた顔で私を静かに見た。

「この町の人……です、よね?」

「ですか?」と言いかけたらしい問いは、気遣うように断定形の質問に変えられた。こんな場所でこんな風に泣いていれば、この町の人間である可能性の方が高いのだと思ったのかもしれない。私は静かに「はい」と頷いて、彼の目を真っ直ぐに見る。潤んだ瞳は私ほどではないが、涙に覆われているような気がした。

「……血は、触らないほうがいいです。AKUMAの血が混ざっていて、毒があります」

そう言って私の右手をへたり込んだ膝の上に静かに下ろして、少年は室内を見回した。そして、赤い赤い血の水溜りに視線をやると、何かに気付いたように徐に立ち上がる。彼は左手をその血液に伸ばすと、銀色のそれを摘み上げた。取り出した自分のハンカチで丁寧に拭い、私の方へ差し出す。それをボーっと眺め、手を出して受け取ると、また涙がこみ上げてくる。

いつだったかに結婚しようと言ってくれた彼は、何も持たなかった私に愛を与えてくれた人だった。穏やかで、笑顔の優しい人だった。喧嘩は弱いけれど友達が多く、人を好くのが上手な人だった。休みの日、どこへ行かなくても彼と居れば穏やかで心静かな日々を送ることができた。
ある日突然「引っ越そう!」と言った彼は、彼の故郷に私を連れて行き、身寄りの無かった私に優しく穏やかな、彼とよく似た義父と義母を与えてくれた。
その町で、私はたくさんの友人を得た。「の作るご飯は世界一なんだ!」としょっちゅう惚気話をするものだから、彼の友人達にはよく冷やかされたものだ。
彼の勧めで始めたパン屋にはたくさんの人が訪れて、美味しい美味しいと言いながら何度も何度もパンを買っていってくれた。
そのうち私は、町の施設を借りて皆にパンを教えるようになった。
思い出すのは彼と出会ってからの、この町で過ごすようになってからの、温かく気持ちのいい皆の笑顔だけだ。ここに来てから、辛かったことなんて本当に、本当に少なかった。

「あ、あのっ! もしよかったら、教団に来ませんか?」
「え……」
「あ、ええと……僕、黒の教団のエクソシストで、アレンって言います」

少年は自己紹介をすると、黒の教団という組織について、詳しいことを教えてくれた。
この町を壊したのが千年伯爵に作られたAKUMAという殺人兵器であるということ、そしてそれを倒すのがエクソシストであること。教団がどんな場所で、どんなことをして、どんな人がいるのか。

そして最後に、「もし行くあてがないなら、来ませんか?」と。

「……そんな所、私でも役に立てる?」
「いろんな人がいますから、あなたにできることもありますよ。そこは心配ないです」

そう言って、彼は私に右手を差し出した。私はそれに自分の手を預け、引き上げられるままに立ち上がる。勢いよく引かれた手に従って、体が一瞬ふわりと浮いた。

(あ)

その時、たった一瞬のことであったにも関わらず、心が少し楽になったのだ。私は自分の手に収まっている彼の指輪をギュッと握り、少年の顔を真っ直ぐに見る。
まだこの場所に未練はある。名残惜しくもある。けれど後ろ髪引かれる思いは、町の人達に背を押されているようにすら感じ、静かに薄れていた。
私だけ生き残ってしまった罪悪感も、彼等に何も返せていない虚しさも、全て、少年を目にすると許されているように感じてしまうのは、私の勝手な思い込みかもしれないけれど。

「私、料理が得意なの。パンを作るのが、一番得意」
「じゃあ、まずはジェリーさんに会いに行ってみましょうか」

そう言って微笑んでくれた白いアレンに手を引かれて、私は黒の教団に入ることになった。
後になって知ったことだけれど、普通そういうことはしないらしい。言われてみれば、AKUMAとの戦いで生き残った人全てを教団に入れていてはきりがない。アレンも私を連れて来たときは、「ほいほい連れて来ちゃ駄目でしょ!」と怒られたそうで、私は後から恐縮して彼に本気で謝りまくった。けれど彼は「全然平気ですよ! のパンも美味しいし!」と笑ってくれるのだ。

彼が笑顔で居てくれるなら、私はここでできる限り美味しいものを作っていこう。

私はアレンがくれたチェーンに通した二つの指輪を、服の上からギュッと握った。天使のように笑う彼に、私の知らない恨み辛みがあるのを私はなんとなく知っている。けれど私に何もできないことも、よく知っているつもりだった。ならばせめて、彼がこのホームで食事を食べる、その憩いの時間を、私はジェリーさんに手を借りながら少しでも、彩っていきたいと、そう思うのだ。

白い天使の手に引かれ

(だから皆、見守っていてね)
  • 2014/02/16
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