『お前、医者になるために生まれてきたみたいな奴だなあ』
あの人はそう言って、笑った。より多くの怪我人を治せ。心の片隅で怪我人が減ることを望み、彼等に食わせてもらっていることを忘れるな。私にそう何度も説いた。そして、その通りにしてきた。
驚くことも面倒くさくなるほどの回数。私が黒の教団に入ってきてこの目で見た怪我人と死人の数は、そんなようなもの。
町医者だった私は、ある日えらい人の命令で黒の教団にある医療班の人間として働くことになった。それは、父親が教団員だった伝で、私はその頃まだとても若かったのだけれど。神田が入ったのと同じくらいのときじゃないだろうか。つまり、私と神田は所謂同期というやつで、初めて会ったときはとても驚いたのを覚えている。
こんな小さな子供までここで戦うのかと。
医療班に配属されることが決まった日に受けた説明。黒の教団がどういう組織で、どういう目的で動いているのか。エクソシストの存在、ファインダーと呼ばれる人々、そして、医療班の役割。様々なことを持ち前の記憶力で無理矢理頭に詰め込んで、ある程度の覚悟を持って臨んだ場所だった。
――戦慄した。
決して人数の多くない〝エクソシスト〟に、小さな幼子が選ばれるという現実に。
――武者震いした。
大量の怪我人を、私がこの手で生かす。その義務と使命に。
医者として、喜ばれることではないかもしれない。だけど私は、治すのが好きだ。怪我人が出ないことを喜べても、治す者がいなければ医者はなりたたない。それは、時間を経て医者ではなくなってしまう。私達は、怪我人がいてこそ生を得ているようなものだと思っていた。怪我人がいるから飯にありつけているのだと、思ってやまなかった。それは、私の師匠と、十歳で弟子入りした当時、私がすでに持っていた考えだ。それを師匠に伝えて弟子入りさせてもらったようなものだったから。
師匠、ここはとても治しがいがありそうなところです。
だってほら、こんな生意気そうな顔をした子どもがいます。私よりもチビなのに、戦場に駆り出される子どもが。
「アレン……また怪我?」
「すみません」
はははと苦笑したモヤシに応えるようにアイツが微笑んだ。
心底仕事を楽しんでいる顔で、会話をしながら誰よりもてきぱきと手際よく包帯を巻いて治療していく。あいつも、まだ若い。確かまだ二十代も前半だったはずだ。入ってきたのは、もっと若い頃。父親の伝で自分まで話が回ってきたらしい、といつだったか笑って話していた。医者と呼んでもいいのか、というような歳の頃から、教団医として忙しい日々を過ごしていたのをよく知っている。
頭がよく回り、気配りができて、優しい。だけど医術が絡むと真剣で真面目。そういう評価を周りから得ていて、その通りの人物だと、俺も思いはする。
「次、神田」
名前を呼ばれ、の方を見た。
そこには心底笑顔で、だがその目は捕食者のように「逃がさねぇぞ」と語っている。
「俺はいい」
「医者である私が駄目だと言ってるんだよ。大人しく座りな」
は俺を〝神田〟と呼ぶ。ユウと呼ぼうとしたことはない。同期で年下の俺を何で名前で呼ばないのか、とリナリーが聞いていたことがあった。そのときアイツは言ったのだ。
『彼は戦士だから』
アイツはリナリーのこともモヤシのことも、初めは名前で呼ばなかった。本人達が言ったから今は呼んでいるが。
『困難で大変な仕事を、子どもの頃からずっと続けている。私にはとてもできそうにないことをね。だけど君達は私から見れば子どもだ。それは一生変わらないだろうし、変えられるとも思わない。だから、せめて呼び方くらいは子ども扱いしたくない。本人が望む呼び方であれば名前で呼ぶけどね』
理屈っぽいことをつらつらと語って子どもだと言い切った彼女は、俺達をまぶしいものを見るような目で見た。
その微笑は、安心する。心が穏やかになると誰もが言う。
何を考えているのか、聞かなければ何もわからない奴だけど。聞けば何でも答えるだろう。だけど、聞かなければ本当に何もわからない。怪しい奴であるはずなのに、警戒心は抱かせない。そして恐らく、笑顔で全てを隠しているように見えるその強さが信頼の理由になっている。
いつも強引に治す奴だった。
俺は特殊な体だから放っておけばいいといっているのに。
そんなアイツを信頼している。
その嘘くさい口調の裏に真剣さを隠しているのを知っていたから。
「また無茶ばっかりしたんだろ」
俺の体に包帯を巻き終えたがベッドの横の丸椅子に腰掛けて俺を見た。低い椅子に座り、ベッドに肘をついて馬鹿だなあ、と笑い、「水、飲める?」とコップを差し出す。俺はそのコップを受け取って一気に水を飲み干すと、コップをそいつに付き返した。
治療中の真剣な雰囲気は霧散して、残っているのは軽い口調の、話しやすいと定評のある個人だけだった。
部屋の中には誰もいない。丁度この間、大怪我で入院状態だった患者が退院して任務に着き始めたばかりなのと、今が夜だというのがある。
今回の怪我は、大怪我の部類に入るものだった。
治るまでは本当に、移動するのも困難なくらいの。
丁度夜勤だったが居たのをこれ幸いと、俺を彼女に預けたのはコムイだった。
受け取ったあいつは「はい、任せてください」と微笑んで、有無を言わさず治療したのだ。
そして、今に至る。
「うるせえ」
「なんだとこのクソガキ」
コツンと俺の額を小突いて、が笑う。
「子ども扱いしたくないんじゃなかったのかよ」
「でも子どもだよ。私から見れば、脆くて儚い、子ども。それは一生変わらないし、変えられるとも思わないんだ。本当に」
本当に穏やかで、空気を一変するような、そんな笑顔で。
怪我人を愛しむように見るその目を、俺はずっと前から知っている。同期というだけで関わりが大きく、俺にしてはよく話す相手だった。
こいつは子ども扱いしても、俺を嘗めていたわけではなかったから。
「痛そうだ」
「そりゃな」
「痛いでしょ?」
「痛覚はある」
むっと不満そうな顔をして、急に俺の頬をつねる。
いっと声を上げると、満足そうにまた笑った。
「素直に言いなよ」
「……チッ」
「痛いなら、怪我しないように頑張りなよ。見ているほうが痛い」
本当に痛そうな顔をするものだから悪態がつけなくなって、押し黙る。
それに気付いたのかニヤリと、気を取り直しましたというふうに笑った。
付き合いが長いだけにわかる。今の、痛そうな顔は演技だ。わかっていても、さっき治療中にそういう思いを本当にしていたのを、よく知っているから。
「神田、寝な」
「お前は」
「私は夜勤」
「もう来る奴なんかいねーだろ」
「じゃあ神田が寝たら寝るよ」
「俺は寝ねー」
「大丈夫。私、気は長いほうなんだ」
ニコニコと、子どもをあやす様に。その笑顔はむかつく、と眉間のしわを深めた。
子ども扱いをしたくないと言いながらも、にとって自分が子どもであることを自覚する。年齢の差は一生埋まらない。俺達を子どもであると言い切った、こいつが言うように。
「お休み、神田」
そのくせ、呼び方だけは思いを尊重するのか。つくづく矛盾していると、彼女の思想に対して言ってやりたかった。
その瞬間、瞼が急に重くなる。
「……テメェ……」
眠くなんか、なかった。だったらこれは何だ。簡単に想像がついて、チッと舌打ちをしようとしたが、もう力が入らなくてそれすら叶わない。
迂闊だった。だからと、信用しすぎていたのだろうか。
「うん、さっきの水」
気が長いなんてそんなすぐバレる嘘、ついてんじゃねーよ、。
その綺麗な髪を優しく撫でる。
睡眠薬で眠らせたのだから、そう簡単に起きるわけではない。それがわかっていても、綺麗な、歳相応に見えるその寝顔を見ていたらそうせざるをおえなくて。
子ども。まだ子ども。今までも、これからも、私にとってはずっと子ども。
その歳の差をわかっているから、私は私の想いに蓋をした。
「愛してるよ、神田」
大人びていて、だけど子どもらしい、無茶ばかりして私を困らせる君を。
「気は長いほうなんだ」
- 2011/08/06
- 207β
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