「恋なんてしたって、いいことない」

その証拠に〝ココ〟では女の子だってろくに恋愛話なんてしてないじゃないか。そもそも男女比率がいい感じではないから仕方がないのか? そんなことはない。数少ない女の子達は皆、とても可愛い。だったら少しくらい、取り合いにだってなるだろう。
つまりはそういうことなのだ。
は一人、そう思って鏡の中の自分に向かってため息をついた。

――恋なんてしたって、いいことない。

任務から帰ってきて、寝て、起きて、ジェリーさんの美味しいご飯を食べて、トレーニングをして、指令を受けて、また任務にいく。
そんな私達には時間がない。……なくもないかもしれないが、基本的にはない。
世界中に奇怪な現象がいくつある? 学校の七不思議なんてものもイノセンスの仕業だと言ってしまえば、その可能性は大いにあるのだと思う。そう考えるとどうだろうか。とてもこの少ない人数では、調査に行ってあわよくばイノセンスを回収しようなんてことがそう簡単にできることではないのだ。そうなると、必然的に私達は忙しくなる。

人数が少ないだけあってエクソシスト個人同士の繋がりは大きいし、強い。
仲がいい者も悪い者も――結局は皆仲がいいんだろう。言っていることがちぐはぐかもしれないが、喧嘩するほどなんとやらだ。そんな感じ。

だけど、恋をしたり、そういうことはないのだろうと思う。
事実、リナリーと神田は幼馴染でとても仲がいいけれど、恋人では、ない……ないと思う。
リナリーは可愛いしいい子だ。神田はぶっきらぼうで意地悪で仏頂面だが顔だけはイケメンだ。そんな二人が結ばれていないのだから、エクソシストというのは恋のことを考えている時間なんてない。あっても、したところでいいことがない。
AKUMAになられては困るから殉職した人間の死を家族に知らせないくらいだ。エクソシストという最前線で動き回る人間が、いつ死ぬのかもわからないような人間が、恋愛なんてものをするのは都合が悪い。そんなことは入った時点でわかりきっていた。

アパートの大家さんが営むパン屋でオーブンを動かしていたときに、真っ黒いコートの人達がきたときからわかっていたことだった。


『あんたがか』

機嫌がいいとは言えない彼の顔を今でも鮮明に覚えている。
黒い制服に黒いコートを着て、黒の教団との関係なんて末端の末端の末端の欠片すらなかった私でも知っている〝ローズクロス〟を掲げた少年を目の前にして、眉間にめいっぱい皺を刻んだことも、何もかも。


「あんたがか」

大家さんに呼ばれてレジまで顔を出す。しゃがんでいたために皺を作っていたエプロンを整え、三角巾を頭から適当に外して相対したのは同い年くらいの少年だった。私はそのとき十六で、身寄りもないしお金もないしと優しい大家さんじゃなかったらどうなっていたのだろうと考えることができるくらいの余裕はあったが懐の余裕はなかった。

もっと言えば、人当たりも今より十倍は悪い。

そこに見るからに自分よりも人当たりがよくなさそうな同年代の男が一人急に現れて、自分に対して話しかけてくる。ローズクロスを見たところで安心はしなかった。愛想が悪すぎて、でも料理は得意だったから厨房に回してもらえたけど、そんな私がちゃんと相手をできそうな相手では、残念ながらなかったのだ。

、大丈夫だよ。怪しい人ではないからね」
「何言ってるんですか店長。明らか怪しいですよこんな真っ黒で」

そのローズクロスを見て信用しているらしかった店長が私に声をかけてくれるも、当の本人が信用しないのでは話にならない。店長は苦笑して一番奥の席を指さすと、「そこでちょっとお話しといで、に聞きたいことがあるそうなんだ」と言った。
しまった、困らせてしまったかとまた私の眉間に皺が寄って、店長はもっと困った顔になった。わかりました、という一言で胸を撫で下ろしたあの人の顔が未だに忘れられない。

「話ってなんですか。縁談なら受け付けてませんが」
「笑えない冗談だな」
「冗談と取ってもらえてよかったです」

気を使った店長が持ってきてくれたコーヒーを無糖のまま一口飲んで、ほっと気を落ち着ける。客だ。しかもローズクロスを持っている相手だ。ここで喧嘩なんかしてみろ。迷惑は私じゃなく店長にかかる。そう頭の中で念じながら、「で?」と無愛想に聞いた。その無表情は目の前の彼よりも数段上だと自負している。

「あんた、最近身の回りで変なことはないか」
「ありません」
「ない?」
「ないですよ。〝変なこと〟というのは〝普段と違うこと〟という意味でしょう」

私の身の回りで最近、黒の教団のお眼鏡に適うような変なことはない。それをありのままに告げると彼は難しい顔になった。まあ、そうだろう。お目当てのものがあるのかないのか決めあぐねるような、そんな感じであるはずだ。悪く言えば、無駄足を踏んだ。

「変なのは私個人です。もっと言えばその現象は最近ではなく物心ついたころから起こってます」

もう一度コーヒーを口に含む。苦いな。と舌の上でその液体を転がしながら思った。眉間に深い皺を刻み、頬杖をついて考え事をしながら同じようにしていた彼は驚いたように目を見開き、口の中に入っていたコーヒーを勢いよくゴクンと飲み込む。

「何?」
「もう一度言いましょうか?」
「……いや、いい」

言い方が気に障ったのか、少年は一瞬消えたように見えた皺をもう一度出現させてしまった。ああ、よく見れば綺麗な顔をしているな、と思って、黒の教団とはこんな若く綺麗な人まで戦っている場所なのだとその時初めて知った。屈強な男子ばかりが集まっているような印象を持っていたわけではないが。

「私の力は教団で役に立ちますか」
「……あるよりない方がいい」
「正直に言ったらどうです。短期間で傷を治癒させられる能力なんて、戦いが絶えない教団には是非ともほしいものなんじゃないですか?」

ふてぶてしく笑って見せる。彼はそれに驚いて、「医療班は喜ぶだろうな」と言った。
私は店長に迷惑がかからないことを条件に教団への入団を決める。店長は笑って、時々は会いにおいでね、と言ってくれた。


わかっているんだ、きっと誰よりも。同い年の子達の中でもとりわけ無愛想で、だけどその分思慮深いというか考えすぎてしまうきらいがある私は、恋愛なんてしたところでいいことなんてないと、本能的に、理性的に理解しているのだと思う。だけど、

だけど、すでに好きになってしまっている場合はどうしたらいいの。

彼には何かしらの目的がある。それはなんとなくわかっていた。もしかしたら恋人を探しているのかもしれないだとか、そういうことも考えた。だけどそれでも好きなものは好きなのだ。私と同じくらい無愛想で、自分の身を省みない彼が。

だから。

「君が好きだ」

君の襟首を掴んで苦々しげに言い切った私を、好きでいられる余地もないくらいこっ酷くふってよ。

Not bad

「それは俺もだ」(残念なことに彼は私を受け入れてしまった)
  • 2011/11/19
  • 1
    読み込み中...

add comment