私達には、確実にコミュニケーションが足りてない。

思ってついたため息は、自分で予想していたよりも遥かに重く、遥かに陰鬱だ。それを聞いていたアレンはリンクが作ったケーキを頬張りながら、「どうしたんですか?」とくぐもった声で聞いた。

「アレンはいいよ」
「え、なんでですか」
「君、人のこと心配してられる状況なの?」

「彼女の言うとおりです」。そう無表情で言ったリンクをジトッと見て、アレンは「僕なら平気ですから」と私にため息の原因を話すよう要求してくる。
前々から思っていたが、本当に肝の据わった子だ。まあ、あのクロス・マリアンの弟子だというのだから仕方が無いのか。アレンとクロスが繋がった時点ではぐらかして逃げるという選択肢はなくなった。それは多分無駄だ、とそういう思考に入れ替わる。

「神田とのね」

朝食のサンドイッチを食べ終わり、食後のコーヒーを一口。まだ少し残っていた眠気がカフェインに全て吹っ飛ばされて、今日もまた、煩わしいほどの早さで一日が過ぎ去るのだと思う。

「コミュニケーションの少なさがね」
「……そんなことで朝からため息ですか」
「そんなことって言わないでくれる、リンク。私これでも寂しいのよ」

「よく言うよ」とそんな顔で私を見るリンクを真っ直ぐに見返すと、彼はパッと目を逸らした。どうやら彼は私が苦手らしいのだ。

神田とは、付き合っていることすら何らかの幻影であるような気がすることがある。そんな微妙な関係ではあるけれど、確かにお互い好き合って恋人という位置に達したはずだ。
ただ、お互い酷く忙しいがために。

「会いにいけばいいじゃないですか」
「仕事がね」
、リーバーさんに止められるくらい仕事してますよね」
「そうでもないと思うのよ」
「……神田と仕事、どっちが好きですか?」

「選べなんて酷だわアレン」。そう言うと、彼は渋い顔をした。しかし、実際私は仕事も好きで、神田も好きなのだ。仕事をしている間は寂しさも幾分和らぐから、そうして悪循環が生まれる。

無茶苦茶なのはよく理解している。
交流を持ちたいのは自分の方だというのに、自分は仕事が好きだ! なんてのは、おかしいとわかっている。
理不尽で、滅茶苦茶で、アホくさい。物事は等価交換。フィフティ・フィフティであるべきだ。求めるなら、まずこちらから差し出さなければならない。そんなことはわかっている。
だけど。

「馬鹿らしい」

吐き捨てるように言われた言葉に、リンクを見やる。彼は心底呆れた顔で私を見て、眉間のしわを一層深くした。

「単純に、あなたが足踏みをしているだけでしょう」

「ああ、本当にその通りだ」。リンクの言葉を嗜めていたアレンが、私の呟きに心配そうな目を向けた。

「そんなことよりは、その目の下のクマの方を心配するべきです」

何より、エクソシストである彼等よりも遥かに楽な運命の持ち主であるというのに、随分と我侭になったものだな、と自分を笑うと、笑い事じゃありませんよ、とリンクからの反論が返ってきて、何だかんだで優しい彼に平謝りしておいた。


、この間の資料のことなんだけど、分析終わったか?」
「ああ、あれか……その辺見て」

朝食を食べてからは目まぐるしいほどの仕事にてんてこまいだ。現在は科学班の第一班、リーバー班長の下で働いている。時々医療班に駆り出されるのは元医療班の名残だ。ただでさえ忙しい科学班の仕事にそちらまで足されれば当然寝る間はないわけで、実際のところ昨日も寝ていない。
エクソシストである神田も様々なところで忙しい生活をしているのだから、相互にお互いのための時間を取るということが容易ではなく、そういうコミュニケーション不足というのは周囲の環境というのも大きく関わってくるものなのだな、と改めて思ったのは彼と付き合い出した頃。

「ああ、これか……つーかお前顔酷いぞ。今日神田帰ってくんだろ?」
「帰ってきても私の休みはないからいいの」
「よくねーよ。お前一応女だろ」
「科学班で働くのに男も女も関係ないわよ」

「お前がそんなだと俺が神田に睨まれるんだ」。ボソッと聞こえたそれに気づいたけれど考える頭は目の前の新しい資料に向いている。分析待ちのそれをさっさと片付けて、次の仕事に移るのが得策だ。なんせここには仕事が溢れている。

「人の話はちゃんと聞け!」

珍しいリーバーの怒り声が聞こえてきて何事かと思った隙に、手の中にあった紙の束がスッと上に引き抜かれた。あっと思ったときには彼の手の中だ。チッと舌打ちをして、資料に向いていた視線をリーバーに向ける。「返して」。

「駄目だ。お前は休み!」
「何でよ。今日は休暇なんて取ってないわ」
「こら、資料取り戻そうとすんな。お前は休み! これは班長命令!」
「職権乱用よ。それを返して」
「駄目だって言ってんだろ!」

返せと言っているのに私から資料を遠ざけるリーバーとの攻防が始まる。勿論百八十五センチの長身に私の手が届くはずもなく。大人気なく手を上げて守る彼に手を伸ばす。何と言えば返してもらえるのかを考えられるだけの余裕は全て睡眠不足という天敵に持っていかれてなすすべもない。

「大人気ない!」
「たった三歳の差だろうが! お前も立派な成人!」
「のっぽ!」
「そら男だからな」

罵る言葉も低レベルだ。私は何をやっているのか。仕方なく奪われた仕事は諦めて、デスクの椅子に座った。「諦めて休む気になったか」という彼の言葉にハッと鼻で笑ってデスクに向き直り、次にするはずだった仕事を引き寄せる。

「おまっ、性懲りも無く!」
「あ、やめてよ! これは私の仕事!」
「お前どれだけ仕事中毒なんだ……!」

呆れたようにしながらも資料を奪う手を止めない。また始まる攻防は収まる様子を見せもしなかった。
もう一度、リーバーに向かって大きく手を伸ばす。うーんとつま先まで真っ直ぐにして資料に向かうのだけれど、全く届く様子を見せなかった。バランスを崩し、危うく床とぶつかりそうになったところでリーバーの手が伸び、ギリギリ倒れこまずに済む。リーバーはといえば、資料を持った手と逆の腕を差し出す程度には余裕があるようで、抱きとめた私を見て「諦めろ」とまだ言っていた。

「おい、何やってんだ」
「おー神田か。丁度いいところに」
「……」

「ただいま」の一言もない。だけど声だけで、帰ってきたばかりの彼だとわかる。

「おかえり」
「ああ」

気のない返事をしながらも、私が着ている白衣の襟を猫を持つように掴んで、リーバーから引き剥がした神田の眉間には、今日も深いしわが見えた。

「神田、帰ったばかりで悪いけどな、そいつ連れてってくれ」
「あ、ちょっとリーバー! それ返して!」
「駄目だ。これは明日まで金庫に厳重保管しておく」
「!!」

「そこまでする!?」と叫んだ私とリーバーの会話を聞いて何があったのかを理解したらしい神田は、はあ、と深いため息をついた。そのまま何を思ったのか、彼は私の腰に腕を回し、俵を持つように私を肩に担ぐ。

「ちょ、神田!?」
「班長命令なんだろ」
「おう。じゃあ頼んだぞ」

リーバーはそのまま、本当に金庫のある方へ歩みを進める。ああ、私の仕事が暗い金庫に押し込められてしまう……と脱力感にも似たものを感じながら、とうとう諦めの息をついた。

「神田、下ろして。あなたも疲れてるでしょ?」
「駄目だ。お前下ろしたら医療班にでもいきそうだからな」
「……その発想はなかったわ」

科学班で仕事を奪われたなら医療班にいけばいいのか。次から奪い返そうなんてせず、医療班に直行しよう。そんなことを考えていると、それがバレたのか彼がグーで私の頭を殴った。痛い。
私が頭を抱えている間に神田が向かったのは彼の部屋ではなく、コムイ室長のところだ。

「ちょっと待って神田、入るなら下ろして!」
「駄目だっつってんだろ」
「ちょ、」

コンコンとノックもそこそこに扉が開かれる。なんてこと。報告が終わってないならあそこに残してくれればよかったのに。というか、報告も終わっていないのに科学班なんかにいったい何の用が。
案の定、私と神田を見たコムイ室長は一度目を真ん丸にした。

「おかえり、神田君」
「ああ」
「……えーと、どういう状況?」
「仕事中毒者に仕事禁止命令が出た」
「……、君ね、前にも注意されてなかったかい?」
「もう少しで終わったのよあの仕事は……」

「目の下凄いよ」と近づいてきていた室長の指がクマの縁をなぞりそうになったところで、神田が私の顔を遠ざける。そんなことより室長、この状況どうにかしてくれませんか、と視線を送ると、彼は苦笑して神田に向き直った。

「とりあえず、報告を聞くからを下ろしてあげたらどうだい?」
「こいつ、下ろしたら医療班いくだろ」
「医療班に? 丁度いいじゃないか。休んでくれば、」
「仕事にだよ」
「……それは駄目だね」

何が駄目なのよ。睨んで反論すると彼等は揃ってため息をつく。なんなのよ。皆揃って私のことを何だと思ってるの。内心で不平不満を垂れ流していると、また扉が開く音が。

「え、!?」
「……こんにちはリナリー。とりあえずこの馬鹿共をどうにかしてくれないかしら。あと私をここから下ろさせて」
「何があったの?」
「仕事中毒者に仕事禁止命令が出た」
「なるほど」
「なるほどって何!」
「とりあえず下ろしてあげたら? 可哀相よ」
「下ろしたら医療班いくだろ」

神田はさっき室長に言った言葉をそのまま使いまわす。そのことを指摘して止めようとしても止まる様子は欠片もない。しかもリナリーは、さすが兄妹と言いたくなるくらいに正確に室長と同じ文句を返して、神田はまた台詞の使いまわしだ。

「私、もういい大人なのに……」という言葉を私がもらしたことで、それを理解したリナリーが神田を説得してくれた。おかげで今は肩からは下ろされ、手が握られている。逃げられないようにということなのか、結構な力だ。しかし〝いい大人〟な私にはそれも正直恥ずかしい。

「もういいよ、神田。ご苦労様。次の任務までは時間があるから、ゆっくり休んでね」
もね」
「ああ。そうさせる」

どうして神田が返事をするのよ、と思ったけれど、三対一では分が悪い。はあ、とため息をついて、神田に手を引かれるまま、室長室を後にした。

廊下を歩く間も彼の手は緩まない。途中ですれ違ったラビが「ラブラブな!」と冷やかしたけれど、私の顔色を見てから何故か呆れた顔をして、神田にねぎらいの言葉をかけていた。どういうことなの、皆して。私はただ……――

いつの間にか到着していた神田の部屋。彼は「絶対出るなよ」と言い残して私の手を離した。今更逃げたりしないわよ、と椅子に座ろうとしたところで、神田にまた腕を掴まれる。

「……どうしたの?」
「……」

深い眉間のしわは取れない。仮にも彼女といてその顔はどうなのかしら。思わず綺麗な顔に浮かぶしわを凝視してしまったけれど、神田がそれを気にする様子はない。
ところが急に、何を思ったのか私の着ていた白衣を脱がして椅子の背にかけてしまう。「ちょっと」。抗議の声を聞きもせず、そのまま私を横抱きにして、ベッドの上へ少々乱暴に寝かしつけた。

「何なのよ」
「寝ろ」
「……え?」
「寝ろって言ってんだよ」
「ちょっと神田、何、」

最後まで言わせてなんてくれなかった。バッとかかってきた布団に口をふさがれて、言葉が途切れてしまう。

今日は何だというのだろう。

神田が帰ってきて、せっかく足りないコミュニケーションを補える機会だというのに、当の本人は私に寝ろだなんて。神田は、別に私と話したいなんて思っていないのかもしれないけれど。そう思うと少し落ち込んだけど、大人なのだからと言い聞かせてそれを表には出さなかった。

「顔色悪すぎだろ」
「でも、」
「……何だよ」
「せっかく、帰ってきたのに」

直接言わなくては、神田にはわからないんじゃないか。そう思ったが故の言葉だった。

――求めるなら、まずこちらから。

朝思った通りに。またリンクに足踏みをしているなんて言われないように。
返ってこない声に不安が生まれる。俯いていた視線を神田に向けた。

「神田、その顔」
「! ……うるせえ」

バッと布団を頭の上まで上げられて、視界が遮られる。だけどその前に見てしまったその顔は、酷く驚いていて。まるで「お前がそんな風に思っているなんて」とでも言うように。

「神田、ちょっと」
「うるせえ。さっさと寝ろ」
「寝てるなんて勿体無いわ。せっかく話せるんだもの」

一言素直に言えたなら、後は随分と簡単だ。
話したい。何でもいいから、言葉を交わしたい。ちゃんと。彼にきちんと伝わっただろうか。口下手な私には、それが心配でたまらない。伝わっている気がしなくてやきもきする。ちゃんと話したいのにいつも時間だけが足りなくて。

寝ている間も惜しいのだ。
神田はエクソシストで、私は科学班で、日々とても忙しくて、恋人同士の憩いの時間なんて早々取れるものではなくて。
私が寝ているこのベッドだって、本来任務で疲れた神田が体を休めるために寝そべる場所であるはずなのだ。帰ってきても疲れて言葉を交わさないことだってあるかもしれない。普段の私はそれでもいいわけだ。なぜなら、神田が疲れているから。

しかし今、それが駄目な理由というのは、せっかく神田が目の前にいるのに私だけがここで寝るというのはどういうことだ、とそういうことだ。疲れてここで眠るのが神田であるなら私は何も言わない。神田の身体のほうが、私の寂しさよりもずっと大事だ。

だけどこんな勿体無いこと。

ぐるぐると巡る思考がどこまで顔に出ていたのかはわからない。しかし神田は小さくため息をついて、少しだけ笑った。綺麗な笑み。少し意地悪だけど、それよりずっと優しくて、私は彼のそれに酷く安心する。私はつられるように、久々に、気の抜けた純粋な笑みを浮かべる。

すると彼は、突然布団の中にもぐりこんできた。大きな手が私の髪をふわりと撫でる。頭のてっぺんから髪を辿り、頬を包み込むようにして、私の顔を覗き込んだ。真っ直ぐに向けられた視線の柔らかさに、キョトンと私も神田の目を正面から見る。

「一緒なら問題ないだろ」
「……」
「何だよその微妙な顔。嫌なのか?」
「そんなことは……だけど、」
「話なんか、起きてからすればいい」

「お前がそんな顔色じゃ、安心して話なんかできねーよ」。言い聞かすように言われた言葉に、なんとなく納得してしまった。私だって神田の顔色が悪いときに笑って話すなんて無理だ。つまりは、そういうことなわけで。

「……そうね」
「ったく……どっちが年下かわかんねーな」
「失礼な」
「本当のことだろ」

憎まれ口すら愛しいなんて、きっと神田だけだわ。内心思って彼の頬をつねると、「痛ェ」と抗議が上がる。
それに小さく微笑んで、私は彼の手を握り締めた。

室長のあの様子だと、神田は明日いっぱい休みだろう。これは、私もリーバーに休暇を貰わなければ。「今日休ませてもらうわね」と言ったら、リーバーは驚くかしら? だけど神田が横にいるのだから、仕事に没頭しなければならないほど寂しいなんてことにはなりそうにもないのよ。

――神田と仕事、どっちが好きですか?

そう聞いたアレンに、今ならちゃんと答えられると思うのだ。

目覚めたら、語り合おう

「やっぱり私、仕事より神田が好きだわ」「……逆だったら殴ってた」
  • 2012/04/14
  • 5
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