彼が怒っているのを私は少し離れて苦笑気味に見ていた。私の前に茶菓子を差し出した女中が、「愛されておいでですね」と自分のことのように嬉しそうに言うものだから、私は笑みを深くする。

日々小言を受け流すばかりの政宗様が、小十郎と正面衝突というのは案外珍しいことだ。だいたいは政宗様が折れるか、小十郎が諦めることでその場の収集がつく。戦場の殺気とは違う、母と子のような口喧嘩はつい先ほどから始まっていて、原因である私はそれを眺めるしかなかった。

「毒味なんて、何もおかしくないのにね」

嬉しい反面呆れてもいる。そういう表情で隣の彼女に声をかけると今度はこちらが苦笑顔だ。

昔から料理を教えてもらえたためしがない。唯一裁縫だけは教えてもらっていたが何を作ってよいのやら。着物を作れるほどそれに優れてもいない私が、日常的にそれを趣味にするのは少々困難だった。
本や文献は一通り読み終えてしまったし、暇を持て余すのにさて何をすれば、と思ったところで私が料理を思い描いたのは、嫁いだ先で初めて共に食事をとった時の彼の笑顔を思い出したからだった。

料理といっても今までやってきていないものをいきなり上手くできるはずもなく、教えてもらおうにも女中達にだってお仕事があるわけで。
結局政宗様への〝さぷらいず〟とやらにはならなかったけれど、少々照れくさい思いをしてやってみたい、と言うと、彼はとても喜んでくれていたのだ。

そして今日。

結局作るのは茶菓子にした。きちんとした料理を教わるとなると、食事の支度の忙しい時に働き人の手を煩わせることになるからだ。
毎日のように女中から教わり、必死になって練習して、やっとできたまともなものを彼に持って行ったのがその〝原因〟である。

小十郎が「念のために」と言って毒味を提案したときに、彼は眉を吊り上げた。「こいつの作ったもんだから大丈夫だ」と怒り気味に言った彼に愛おしさを感じたのはいなめない。
まったく、私はそれくらい気にしたりはしないのに。

「ひと段落ついたようですね」
「ええ。……結局小十郎の負けなのね」

ふふ、と二人して微笑んでいると、向こうから政宗様が手招きをする。小十郎は渋い顔で少し離れたところにいたが、私の顔を見て少々申し訳なさそうな視線を送った。
あなたは別に間違っていないわ、とそういう意味を込めて苦笑を送ると、彼はホッとしたような顔になる。おそらく先ほどの口喧嘩で、あんなことを言ったら傷つくだろうとでも言われたのだろう。

「あまり小十郎を困らせてやらないでくださいな」
の手製の茶菓子だぞ。何が入ってるってんだ?」
「私が作るより前に材料に何か混ざっているかもしれないじゃないですか」

小十郎の言うことは最もなのだ。政宗様と小十郎の立場を考えれば、毒見を付けないなんて自殺行為であるし、政宗様は実際にその命を幾度も狙われている。彼も、それがわかっていないはずはない。
私の作ったものだけ特例、なんてことになれば、今度は私が扱う材料、道具に毒を盛れば良いのだ。そうすれば、簡単にこの人を殺せてしまう。

「今日は私がしますから」

そう言うと、政宗様と小十郎がギョッと目を大きく見開いて私を見る。小十郎なんかはあたふたと見たこともない動きと表情だ。
小十郎は落ち着いていていいのよ。聞き分けのないこの人にはこれくらい脅かしてやればいいんだから。そんな心持ちで、私はこの場の誰よりもどっしり構える。

「No! にさせるくらいなら俺が死んだ方がましだ!」
「馬鹿な事をおっしゃらないでください」

ピシャリ、と言うと、政宗様がたじろぐ。駄目なものは駄目なのだ。
それに、私の気が収まらない。

「もしそれで本当に毒でも入っていて政宗様が命を落としたら、私は一生菓子など作らなければよかったと悔いるのですよ。それでも良いとおっしゃるのですか?」

政宗様がハッとしたような顔をして、みるみるうちに萎んでいく。けれど、言い過ぎだなんて思わない。私の作ったお菓子が原因でこのお方が死ぬなんて、絶対に絶対に、嫌なのだ。

「なので、本日は私が毒見をします。良いですね?」

返事も聞かぬうちに、初めてちゃんとできたお菓子を楊枝で切り、欠片を一口食べる。
あわあわあわと皆が顔を青くするのを見ながら、ごくりと菓子を飲み込んだ。うん、やっぱり味も大丈夫なようだ。

「問題ありませんね。これに懲りたら、わかりきったわがままは控えてください」
「……わかった」

すっかり意気消沈してしまった政宗様の手に、そっと自分の手を重ねる。
気持ちは嬉しい。私を信じてくださるもの嬉しい。けれど、疑って疑って疑って、そうしたことで政宗様の命が長くなるのなら、私はその方が良いのだ。自分が疑われないことよりも、その方が、ずっとずっと大切なのだ。

「政宗様、食べてくださらないのですか?」

自分で食べた時と同じように楊枝でお菓子を取り、消沈したままの彼の口元へもっていく。そうすると驚いたようにしてから苦笑して、ぱくりとそれを口に含んだ。
ゆっくりゆっくり欠片を味わい、嬉しそうに口元を緩める。その顔がただ見たかったのだ。

「もう一口」
「恥ずかしいから、あとはご自分で……」
「食べさせてくれ」
「政宗様……!」
「お前が作ったものだから、お前が」

すっかりご機嫌に甘えた様子。これにはもう、抗えない。なんだかんだと私も、小十郎と同じようにこの人に甘いのだ。
最後の一口まで丁寧に、彼の口へ運ぶ。その様子をさっきまでの青い顔はどこへやら、皆穏やかに、微笑ましそうな顔をして見ている。
まったく、そもそも小十郎がうまく毒見をさせてくれなかったから、ご機嫌取りをしたまでなのに。そんな気持ちで、今度は私の方が膨れてしまいそうだ。

「そもそもどうしてあんなわがままを……」

ぽつりと不満が声に出る。それに政宗様は不思議そうにして言った。

が初めて作った菓子の一口目を、なんで他の奴に譲ってやらなきゃなんねーんだ」

毒味役は必要ですか?

(そんな理由でと呆けて、赤い顔を隠す。不敵な笑い声が少し、にくたらしい)
  • 2020/06/16
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