「あれ、?」
「ん? あ」

学校の玄関先で途方もなく佇んでいた私の耳に、何となく聞き覚えのある声が聞こえた。振り返ると、そこにはあの有名なテニス部部長が立っている。
彼もしとしとと雨が降る空を見上げて立ち止まっていた。
「幸村も傘忘れたの?」と彼の手に何も握られていないことを確認して話を振ると、「うん」と苦笑が帰ってきた。苦笑もそんなに綺麗なんて、ほんとずるい。

雨脚が弱まるまで何もできないと、私と幸村は座り込んだ。他愛もない会話を幸村とできることが少々驚きだ。
同じクラスではあるけれど委員会も違うし部活も違う。テニス部は忙しいので、その他の時間でも接点なんてものはない。彼との会話なんて朝の挨拶程度のものだ。席の距離もそれなりで、隣になんてなったことがない。むしろ、私のような平々凡々な生徒が幸村の視界に入っていたことが意外だった。

「今日部活は?」
「自主練になった」
「へえ、雨で?」
「雨で」
「テニス部もそういうことあるんだね」
「あるよ、時々だけど。どういう目で見てるの」
「厳しい感じ」

「なるほど」。幸村はよく微笑む人だった。あのテニス部の部長だから、いくら美人でも厳しいのだろうと思っていた私は少々拍子抜けする。
友人に連れられて見に行った練習風景。そこにいた幸村は凛として威厳のある〝テニス部部長〟の幸村だったけれど、オンオフのある人なのかもしれない。今は物腰柔らかで、それほど会話を躊躇うような人物には思わなかった。テニス部にさほど興味のなかった私にはあのときの記憶が根強くて、ピリピリとした空気が近づきがたいな、と思っていたのだけれど。

「幸村って、案外話しやすいね」

そう言うと、彼はその美しい顔をきょとんとさせて私を見た。可愛い。不覚にもそう思う。ああ、顔がいいというのはすごい。

は、意外とストレートに話すよね」
「よく言われる。気に障った?」
「いや、いいと思う」
「よかった」

ふ、と外を見ると、向かいに座っていた幸村が私の視線を追う。

「雨、上がったね」
「うん、よかった」

綺麗な線状に見えた雨の粒が緩くなり、急にサッと止む。

「通り雨だったのかな」
「みたいだね」

徐々に明るくなり始めた空を見て、私は腰を上げる。同じように幸村も。

「駅まで一緒に行かない?」
「雨あがったけど、テニスいいの?」
「コート水浸しだし、今さら自主練無しなんてことないよ」

軽快に彼が笑う。私はそれもそうかと思い、有名人と一緒に帰るなんていう、そういう日があってもいいかな、なんて軽く考える。

「じゃあ一緒に行こう」

幸村はそれはそれは綺麗な顔で微笑んで、一歩先に歩き出す。玄関をくぐるとき、溜まっていた水が雨垂れになって肩にかかったけれど、あまり気にはならなかった。

部長ではない幸村精市との会話は駅まで難なく続いた。時々降りてきた沈黙は居心地悪いの反対で、その付き合いやすさにはやはりイメージとの相違がある、と不思議な気持ちになる。

どっち?」
「私あっち。幸村は?」
「残念、逆だね」

さっきまで縁の薄い赤の他人だったのに、もう気安い会話をしている。私は元々そういう性格だけど、私の思っていた幸村は、その真逆だったのに。なんだかいい事のあった日だ、と思う。意外な本当の所を知れた。

「じゃあ、また明日」

何はともあれ、これで幸村ともお別れだ。明日からはまた関わらない日々が始まるだろう。

、今日は付き合ってくれてありがとう」

幸村の声に振り返ると、彼が軽く手を振っている。その手に握られているものがなんなのか、理解して疑問符が。

「前から話してみたいと思ってたんだ」

女よりも綺麗な笑みを残して改札をくぐった幸村の背の残像を呆然と見つめていたら、電車を一本逃してしまった。

感嘆符の嵐

(あんたそれ、折りたたみ傘、持ってたの)
  • 2020/06/17
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