「山じいはまだご健在?」
「ああ、もう元気すぎて困るくらいだよ」

はははと笑ってみせると春水は苦笑した。私の笑顔はそんなにブサイクだったかしら。頬に手を当てて考えるけど、美人でもなければ不細工でもない方なので鏡でも見なければ表情の良し悪しなどわかるはずもなく、結局無駄なことは考えないでおこうという方向に収まる。

まとまりのない思考。酒は強い方なのだけれど、もしかしてもう酔っているのだろうか。もしそうだとしたら、間違いなく隣にこの男がいるからだな、と当てつけのように考えた。

いつ振りかに来た護廷十三隊、八番隊隊舎の屋根の上。月見酒をするのに丁度いい天気の空には明るく真ん丸な月が浮かび、時々薄い雲がかかる。
文で呼び出された期日に、私はわざわざやってきた。返事を出したその翌々日である。男は私の文の通り、とっておきの酒を片手に屋根の上に現れたのだ。

「にしても久しぶりだねえ」
「私が十三隊から出て行ってからだから……百年ぶり、とかかしら」
「その間文の一通もも寄越さないなんて薄情だって、浮竹が苦笑してたよ」
「あら、あんたも思ってるんじゃないの?」

スッと細くした目でチラリと横を見ると春水が微かに息を呑んだ。自分でもわかるほどらしくない表情は、やはり酒が回っているからだろう。そんなに度数の高いものだったのかしら。私、酒は強いのに。頭の中でそう言い訳して、視線を丸い月へ移す。

そこで彼がはあ、と深い溜息をついた。

「そういう顔はやめてほしいねえ」

相変わらずの声なのに、どこか艶やかに聞こえる。

家庭の事情と銘打って山じいに我侭を言った。
あまりのしつこさに珍しく音を上げて、あの人が事実上の休職扱いで私を護廷十三隊の外へ出してくれて以来、私達は会っていない。

通行証を持っていて、いつでも戻ってきていいのだと言われて、それでも瀞霊廷の敷地は踏まなかった私がここにいるのはひとえにこの男が呼んだからだ。
告げられた想いへの返事をしないまま出てきた私は、彼の呼び出しを跳ね除けられるほど太い神経は持ち合わせていない。

『好きだよ』

いまでもふ、と思い出すのは、そう言って切なげに笑う京楽の顔。眉を下げ、どこか諦めたように、仕方ないなあとでも言うように私に言った。
その仕方ないなあは、私に対して言ったのか、それとも彼自身にだったのか、わからないけれど。

『好きだよ、

忘れもしない、切ない声。

愛おしいなと思った。

強く、軽薄で思慮深い。そんな、いろんなものがないまぜになった広い背中。預けるには心強く、支え甲斐のありそうな、ピシッとはしていない背中だ。
大きく口を開けて軽快に笑ったと思えば、ニヒルに口角を上げる時もある。そんな彼の、私が奔放にしているのを見て眉を下げて笑うところが好きだった。

(そういえば、文をもらったのは初めてだったな)

浮竹からは文をもらったことがある。
取り留めのない日常や、こちらはどうしているか等軽い心配事。決して重くならないよう、彼らしい気遣いの溢れる手紙だった。
あまりに心優しすぎて、なんと返事を返せばいいかわからぬまま、時間が過ぎてしまったというのは半分言い訳だ。
浮竹を――護廷十三隊を思い出すということは、京楽春水を、思い出すという事なのだ。

初めて彼が私に送った文は、今日この日時と一言が添えられただけのものだった。

『この間の言葉は、まだ有効だからね』

この間っていつだよ、じいさんが、と紙面を前に笑ってしまったのは申し訳ないけれど。

「来てくれた、ってことは色よい返事がもらえると思ってもいいのかな」
「まあ待ちなさいよ。今告白の言葉を思い出してるところなんだから」
「ええ、覚えてないの?」

本当は覚えている。ついさっきだって反芻したところだ。

もう少し友人を楽しんだっていいじゃないの。百年くらい離れていた友人を、友人とは思ってくれないのかしら? そんなふうに茶化して見せると、彼は困ったように苦笑して、私の手を取り抱き寄せた。

「相変わらず意地が悪いなあ」

なんて、あんたに言われたくないわよと思いながら、私はそれでも笑って見せる。

知っている。
どんどん強く、地位も上がっていくこの人に見合わないと気持ちを押し込んでいた私を、見ないふりしていてくれたこと。
ずるく、のらりくらりと躱す私を捉えようと真正面から向かってきてくれたこと。
私が断れないと知って、応えなくても罪悪感が残ると知って、この人に心が繋ぎ止められたままになると知って、私を見送ったこと。

そしてそれを「この間」と言えてしまう、ずるい、ずるい男なのだ。

「僕の理性が耐えられる間だけ待っててあげる」

できるだけ長く待っててね。今あんたの昔を全部思い出してる最中だから。そう言ったら春水はどんな顔をするかしら。

昔語り

(覚えてること知ってるくせに待っててくれる、あんたのそういうところが大好きよ)
  • 2020/06/24
  • 17
    読み込み中...

add comment