彼女は気さくで、人当たりがいい。誰にでも同じ態度で接するところが好ましく、人を寄せ付ける人だ。化粧っ気もなくて、いつもファンデーションと口紅くらいで、髪も小綺麗にまとめるくらいしかせず、それでもスーツをスッと着こなす仕事人。彼女のイメージというのは皆が皆、一様にそんな感じだ。よくも悪くも女性扱いせずに済むというか、そういうキャラクターとして受け入れられている。一年前俺の教育係だったさんは、そういう人だ。

先輩」
「赤葦! お疲れ!」

「お疲れ様です」と言いながら彼女を見る。今日もスラッとしたスーツ姿は締まっていて、女性ながらかっこいい。定時前とは思えないほどの清々しさでほほ笑む立ち姿。背筋はピシッとして、笑った顔には近寄りやすさが滲んでいる。これが人を寄せ付ける理由の一つだと推測するのは容易だ。

腕に抱えられた書類はもう片付いているようで、あとは上司に手渡すだけなのだろう。仕事の疲れを一つも見せないで笑っているところは、一年前から見ていて本当に尊敬を覚えるほどだ。

さん、この後って空いてますか?」
「この後? 普通に家帰って夕飯だよ」
「よかったら飲みに行きませんか? 今日定時に上がれそうなんで、久しぶりに」

入社二年目に突入した俺はそれなりに慣れてきて、それなりに慣れていない。そんな状態だ。わからないこともまだまだあって、定時に帰れるように仕事を片付けるにはもう少し時間が必要な日だってある。

一年目の頃、さんは俺の残業に付き合ってくれて、その後二人でよく飲みに行った。
さんは奢りでいいと言ったけど、割り勘にしたほうが何度も一緒に食事ができると思った俺は生意気にも毎回毎回割り勘で、でもそのおかげで何度も何度も二人で飲みにいけたのだと思う。

『残業付き合ってもらって、その上奢られたりしたら申し訳なさ過ぎて飯なんて来れませんよ』なんて苦笑した俺に、さんは『赤葦は真面目だなあ』と笑ったけど、俺からすれば当然なのだ。
割り勘にしたい理由も事実だけど、それだけじゃない。その相手が好きな人なら、尚更。金銭的な負担が少しでも軽ければ、これからも何度も一緒に食事ができるかもしれない。そんな打算も俺の中にはあって。

「赤葦から誘ってくれるなんて珍しいこともあるもんだなーじゃあロビーで集合ね」

勘違いしそうなほど完璧な笑顔で「じゃあまた後で」と去っていくさん。ヒールの心地いいリズムが去っていくのを聞きながら、心の中でガッツポーズをする。

男として見られているかどうかなんて、聞かなくたってわかっている。俺は後輩で、さんはその教育係だった。よくて弟のような、そんなもんだろう。後輩として可愛がられたって、男として好いてもらえるのとイコールじゃない。
誰と飲みに行こうが、わざわざ他の人を呼ぶなんてことはしない、男女共にどちらにも警戒心なんて持っていないような人だ。去年教育した後輩の男と二人で飲みに行ったとして、こうして二人で行くことを了承してくれたとして、特別なわけじゃないことは去年一番近くで見ていた俺がよく知っている。

ああやってロビーで一人、俺を待っていてくれるからと言って、特別なことなんかじゃないのだ。「すみません、お待たせしました」と駆けよれば、「お疲れ!」と頭をなでてくれちゃったりするのだ、この人は。
そんなことを自然としてしまうような無防備さが、放っておけない。

「いつものところでいい? 最近ずっとあそこの焼き鳥が食べたいんだよねー」
「いいですよ。あんまり飲み行ってないんですか?」
「私だってそんなしょっちゅう行かないわよ」

笑いながら、彼女はマフラーを整えてロビーを出ていく。俺はその後を追うように、急いで横に並ぶ。

本当は知っているのだ。
以前は誘われればガンガン飲みに行っていたさんが、最近飲みに行っていないことも、「最近の付き合いが悪い」と噂されていることも。

「赤葦お前、なんか知らない?」そう尋ねてくる彼等にとって、同期のさんは恋愛対象ではないにせよ、飲み会にいなければ物足りない人なのだろう。
ついににも春が、と仕事ばかりで浮いた話のない彼女にまつわる初めての浮いた話を、彼等はまるで妹か何かを見るように大げさに話している。
だがその大げさは、俺にとっては本当に大げさで。今日だって今までつけていなかったチークなんかをふんわりと乗せて、最近の彼女の変わりようと言ったら、俺が思わず焦ってしまうくらいのものなのだ。

色気のない居酒屋の暖簾をくぐる。「いらっしゃい」とぶっきらぼうな店主と元気なバイトの男の子が声をかけるのに、「こんばんはー」とさんの声。一番奥にある二人掛けのテーブル席に腰かけて、「私生。赤葦は?」とさんは俺に問いかけながら早速焼き鳥のメニューを見ている。「同じで」と返事をしながら俺が店員を呼んで、「生二つと」と言えば、さんから焼き鳥の注文が入る。その間に俺がメニューを見て、彼女が言わなかったものの中から食べたいものを言っていく。そんな流れだ。あの一年ですっかりできた居心地のいい流れが身に沁みついている。

早速やってきたビールで乾杯する。ガツン、とジョッキのぶつかる音がして、さんが男前に飲む。

「赤葦もだいぶ仕事に慣れてきたみたいでよかったよ」
「ぼちぼちですけど、なんとか」
「やっぱり優秀だわ。私が教育するの赤葦でよかった。手がかからなくてびっくりラクチン」

ニコニコと機嫌のいいさんは、俺が仕事を問題なくこなせれば褒めてくれて、失敗したら叱りながらも励ましてくれる。俺はそれに甘えてしまわないように、教育期間を抜けた後は彼女に仕事の相談なんかはしないように気を付けていた。それでは結局、教育係を務めた後輩のまま抜け出せないと思ったからだ。
俺はいつも彼女の小さいけど広い背中を見て、そこに追いつこうと必死で仕事をしている。こうして俺を子ども扱いするこの人は、それに気づいていないけれど。

さん」
「何?」
「彼氏できたんですか?」

キョトン。さんは目を丸くしてそんな顔をした。爆弾を落としたつもりだったのに意外な反応をされて、こっちが困惑する。
彼氏、ではなかったのか。「好きな人とか」と畳みかけると、「んー」とどっちとも付かない彼女の様子だ。

「どうして?」
さんの同期の人から、よく聞かれます」
「へえ。で、気になったんだ」
「まあ……今日もなんか」
「ん?」
「メイク、違うんで」

キョトン。またそんな顔をする。そして「赤葦はそういうとこ、気づいちゃうんだなあ」とふわりと笑って言うのだ。こちらは何が何なのかわからないで、ただ困惑している。

「今日はね、私も誘おうと思ってたのよ」
「え」
「そういうこと」

いつものあの完璧な笑顔でそう言って見せる。さんはやっぱり俺より何枚も上手で。けれど、俺を誘うつもりだったその日に頬をチークで染めてきてしまうような、そういう可愛らしい人であるらしい。
俺はこれからも「赤葦に先越されちゃった」と言うこの人に振り回されていくのだろうと思いながら、ジョッキを一気に空ける。

さん」
「はい」
「好きです」

これだけは負けてたまるかと振り絞って言った一言に、彼女は悪戯っぽく笑って、「こちらこそ」なんて言うのだ。

「教育係も引退ね」

そう、嬉しそうに。

LOVE PUNCH

  • 2017/02/14
  • "Ms."
  • 5
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