中学に上がって出会った財前光という男とはやけに気が合った。
一年の初めの席替えから、何の縁か前後左右の席から離れることがなく、それが今現在、中学二年の二学期末まで進行中だ。
加えて身長と体重まで知っている。やましいことではない。同じ部活のよしみだ。

「細工してんの?」
「アホか。やるんやったらもっと美人の近くにするわ」
「それもそうやなー巴とか」
「あいつは煩いから嫌や」

親友の名前を交えて会話をしながら帰りの準備を進める。軽く中身のない会話をするのも、もう一年と半年というところか。

私が小学生の頃、一つ年上の幼馴染がずっとやっていたために、テニスというスポーツに触れる機会は多かった。仲の良い彼の後を追うように四天宝寺中に入学し、彼の誘いのままにそこのマネージャーになって、そこに、財前も居た。

私は元々陸上をやっていて、全国の舞台では二位だった。足は速い自信も実績もあった。友人からは 「何でそんな裏方に」 と残念がられたが、私は「気分?」とおどけてかわしてばかりで、幼馴染の謙也以外、誰にもテニス部のマネージャーになった本当の理由を話したことがない。それこそ、テニス部唯一の同期である財前にすら。

「お前、今日部活来るんか」
「私おらんと困るやろ」
「アホ言え」
「意地張りなや。行くわ、当然やろ」
「そーか」
「感謝してなー」

軽口を言い合いながらテニスコートに向かう。

全国大会後、三年生が引退して静かになるかと思われたテニス部は、それでも活気を持っていた。前部長である白石先輩を筆頭に、暇を見つけては三年生がテニスコートに現れる。ここのところ、「息抜きや」と言いながら毎日のように来ているほどだ。

今日もコートには先輩達の姿がある。それを見て、僅かに財前の肩の力が抜けたのには、気づかないふりをした。

「おー! 財前、!」
「お疲れ様です。先輩、受験大丈夫ですか」
「うわーえげつないわー」
「何ですか。もしかして落ち、」
「あかん!」

馬鹿みたいな会話をする白石先輩は、これでも頭が良い。全国進出を果たした四天宝寺のレギュラー陣なら、その方面でも引く手数多だろう。うちの先輩は大丈夫。大した根拠はないが、それでも心配することはない。

明るい彼の気質は、そのまま部の雰囲気になっていた。財前が部長となった今も〝白石部長〟の雰囲気のまま停滞していることは否めない。その中で自分らしく部を引っ張っていくのは、私が想像する以上の重圧だろう。

白石先輩は明るく、それでいて思慮も深い人だ。馬鹿騒ぎの中心にいるようで、実際にその中にいて、だけど決して無謀な一歩は踏み出さない。本当に、限りなく完璧に見える〝聖書〟だった。
そんな彼とは対照的に、財前は渦中にいながらにして周囲と温度差がある。部の中で静かな突っ込みに挺している姿はもう御馴染みだ。リーダーシップがないわけではない。向いていないとも絶対思わない。だけど、白石先輩と財前では引っ張り方に違いがありすぎる。

馴染んだ部活、馴染んだメンツ。けれど多分、その中で一番やり辛さを感じているのは今、財前だ。

財前が白石先輩から部長というバトンを渡されるであろうことは、入部当初からなんとなく思っていたところで、それは結局正解で、あの時散々考えて、「今考えたって仕方ない」と後回しにしたことが、今私の頭を占めている。

皆の輪から離れ、白石先輩が駆け寄る。聞き馴染んだ声は、私達にとっての部長の声だ。私にとって、そして恐らく財前にとっても、〝部長〟といえば白石蔵ノ介その人だ。きっと財前はまだ、自分がそう呼ばれることの違和感に馴染めていない。

「何ですか」
「ちょっと相談あんねん。部活終わってから時間ある?」

遅うなるから家まで送るし、用事ないんやったら、とそう言う白石先輩は苦笑いだ。財前ではなく、先輩達ではなく、私に相談。その内容の想像は、すぐについた。

「……送らんでええですわ。子供とちゃうし」
「あかんて。神埼も女の子やし、一応」
「一応ってなんやねん。しばいてええですか」
「やめや。送らな謙也が煩いやろ。大人しく送らせ! 決定!」
「アホやろあんた。子どもみたい」

受験生になんちゅーことを! と毒手を見せて言う先輩に、そんなん効くんは金ちゃんだけや、と背を向けて仕事に戻る。財前は金ちゃんとラリー中で、今のうちにタオルとドリンクを用意しておくか、とこの一年半ほどで随分慣れたマネージャー業に少しの余裕を感じつつ、私は部室へ向かった。


「悪いけど、鍵返しといてくれる?」

部室で一緒になってテニスの雑誌をめくったり漫画を読んだりしている先輩達と部員達に声をかけた。その瞬間、彼等の目が一斉に向いたが、いつものことなのであまり気にはならない。この部が全員仲良しというその性質上、嫌な視線ではないからだ。

、今日は寄って行かんのか?」
「うん。用事があって」

練習が割かし早く終わった日の放課後は皆でたこ焼きを食べに行ったりする。いつもは私もそれに参加して、家が近いからと強制的に謙也に送られて帰るのが日課だ。

今日行かんのー? 寂しいわー」

小春先輩がふにゃーんとした声を出す。それに一氏先輩が「小春!」と突っ込みにいくのは相変わらずだ。彼等は卒業してもこのまま変わらないのか。学校は別々になるんだろうなあ、と頭の出来を見て思うのは仕方がない。いかんせん、小春先輩の頭が良すぎる。

、行ける?」

自転車を駐輪場から持ってきた白石先輩が部室をのぞいた。「はい」と返事をして、部室に残っている面々に「じゃあ、後お願いします」と小さく頭を下げる。

はいつの間に蔵りんとくっついたん!?」

部員達のまんまるな目を不思議に思いながら扉を閉めると同時に、キャー! と小春先輩の黄色い声がする。何やら面倒臭い騒ぎになっていそうな気配を感じるが、もう閉めてしまった扉を開ける気にはならない。

(面倒くさいことにならんとええなあ……)


は塩やんなあ」
「何の話です?」

白石先輩が自販機の取り出し口からコーヒーを取り出す。無糖と書かれたものを一本私に渡して、そこの公園いこか、と軽い調子で言った。

「コーヒーはブラックやし、誰よりも先に〝部長〟って呼ばんくなるしなあ」
「何か悪いですか」
「可愛げがないと」
「そらあんなムッサイ連中と絡んどったらそうなります」
「元々や」
「ひっど」

私達は公園の隅にあるベンチに腰掛ける。ひんやりとしたベンチの温度に、どんどん冬が近づいてきているのを感じた。買ってもらったばかりのあったか~いコーヒーの温度が心地よくなるくらいには、近頃の夜は冷える。

横に居る彼も珍しく黙ったままで、楽しい空気は消し去った。これから真剣な話をするのだ、と私は確信する。言葉を選ぶような、そんな間がとても長く感じて、横に居るのは白石先輩であるというのに妙に居心地が悪かった。

、来年なってもマネージャー続けるやんな?」
「は?」

呆けた私に向けられた目はどこまでも真っ直ぐだ。腹を括ったような潔さが見え隠れする彼の表情に迷いは見受けられない。何をどう話すのかを、この人は今キッチリ決めたんだ、とぼんやり思う。

「何で急にそんなん聞くんですか」
「謙也は今年で卒業やし、は謙也に誘われて、謙也がおるからマネージャーになったやろ」
「……こんな中途半端にやめたりしません」

幼馴染のお兄ちゃんを追いかけて四天宝寺に入学したとはいえ、彼が自分よりも一年早く卒業することなんて、それこそ生まれたときからわかっていた事実だ。今更そんなわかりきったことを――当然のことを、なぜ改まって確認するのだろう。
そう思い白石先輩の顔を見ると、表情が和らいだのを感じだ。思えば、先輩の表情は普段と比べて数段硬かった。それが私にまで緊張を与えていたことに今まで気づかなかったのは、多分私も彼の相談の内容に、ある程度心当たりがあったからだ。
彼の緊張が、表情が、幾分解けたのにつられて私もふと息をつく。一山超えた感じがした。

「財前やねんけどな」
「はい」
「部長になるやろ」
「もうなってます」
「慣れへんこともあって大変やと思うねん」

俺も出来る限りは教えてきたつもりやけど、と彼は頭を軽くかく。彼はきっと、テニス部にとっての自分の大きさをきちんと理解している人だと、そう思うのは私の買いかぶりではない。

「助けたってな」

そう苦笑した白石先輩をじっと見て、しっかり頷いた。「出来る限りやってみます」と言った私に、彼はらしいと苦笑する。

「送ってくわ。後ろ乗り」
「いや、ええです」

そうか? と白石先輩は自転車に乗らず、私に合わせて歩き出す。

私と君と大きな背中

(少し、楽にしてあげられたら)
  • 2020/06/07
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