1話

「いってくるよ」

閑散とした丘の上。規則性なく、だが自然のまま綺麗に整った草花が咲いている。その上に立った正四角柱に向かって、少女が声をかけた。返事が返ってくるはずもない。刻まれた名を人差し指で途中までなぞり、ふと指を離す。
いってくる。再度呟いてから、彼女は身を翻した。少し離れたところで人の声がする。自分を呼んでいる。そう自覚しながら、小高い丘を下っていった。


「たーいちょ!」

執務室の戸をスパーンと勢いよく開けた松本乱菊は、そこにいるであろう自分の上司に向かって満面の笑みを浮かべた。
それに対し、上司――日番谷冬獅郎は眉間に深い皺を刻み、どこに行っていたという目で彼女を睨む。

「聞きました? あの噂、事実らしいですよ!」
「は? ……あの噂?」
「ほら、護廷十三隊にすっごい腕の利く兄妹が入ってくるっていう……知らないんですか?」
「ああ、それか」

日番谷は、さっき隊首会で聞いた、と書類に目を通しながら興味なさ気に言葉を返した。松本はそんな隊長の様子なんて気にも留めない様子で話を続ける。

「隊長、他人事じゃないんですよ」
「何がだ」
「お兄さんの方は本人の希望で十一番隊に決まりましたけど、妹さんの方はまだ入る隊が決まってないじゃないですか」
「十二分の一の確率だぞ」
「でも入る可能性は十分にあるんです。他人事じゃないんですよ」

松本はもう一度、日番谷に言い聞かせるような調子で言った。
彼には、彼女がなぜこんなにも楽しそうなのかわからない。新人としての途中入隊。新人が入ってきてやっと仕事を覚え慣れてきただろうこの時期に新人を入れることに意味を見出せない。
何があったからなのか、というのは、大まかに総隊長に聞いてはいた。彼が仕事の合間に足を運び、勧誘したらしい。今までがんとして首を縦に振らなかった二人が、やっとのことで折れたと。彼自ら勧誘したがるような人材に興味がないわけではないが、それが自分の隊に入ってくるかどうかはまだわからない。

「可愛い子だと良いですね!」
「お前の論点はそこなのか」

はあ、とテンションの高さの理由が思ったよりもくだらないことにため息をつく。こいつは普段はこういう奴だ。仕方がない。今更だ。そう心の中で唱えて仕事に集中しようと判を押した。だが松本はそんなことを気にする事はなく、ソファーに寝転びながら饅頭を頬張った。

「新人ちゃん、何席になるんですか? 名前は?」
「仕事しろ」
「なーまーえーはー?」
「お前な……」
「焦らさなくたっていいじゃないですか。役職と名前だけですよー? それ聞いたらちゃんと仕事しますって!」

キラキラと輝いて見える瞳を日番谷に向け、意気揚々と言ってみせた。普段デスクワークを避けているだけあってその点にはあまり信用がないが、黙々と書類を片付けていく間中ずっと一点に自分を見られているというのは居心地がいいものではなく、やがて日番谷ははあ、と大きく一回ため息をついた。

「仕方ねぇな」

松本のテンションがまた上がるのがわかる。早く早くという雰囲気が彼女から伝わってきて、さっさと言ってさっさと仕事をさせた方が得策だと思い至る。もしかしたら彼の新人も、総隊長があまりに何度も何度も勧誘にくるので堪らなくなり、仕方がなく折れたのかもしれないな、という思考にまで達した。

「位は〝隊長及び副隊長補佐官〟だ」
「……そんな役職ありましたっけ?」
「作ったらしい」
「総隊長がですか!?」

「うわあ、すっご! 超期待の新人ちゃんじゃないですか!」と松本が騒ぐ。それに関しては日番谷も同じ事を思っていたが、あまり期待を募らせすぎると相手にとっても重圧になるだけだろうと自分の中で抑制していた。総隊長自ら勧誘に行くほどの、その人物のために新しい役職を用意されるほどの――とてもではないが人物像は掴めそうにない。どんな屈強な兄妹が現れるのかと冷や汗すら伝いそうだ。

だがそんな強烈なイメージは、これまた名前を聞いただけで失われる。

「名前は――」


〝例の兄妹〟の話から一週間。やっとのことで迎えられるという知らせを地獄蝶が各隊の隊長に知らせに来たのは、昨日の昼過ぎだった。執務室でそれを聞いたとき、俺は松本の嬉しそうな声に呆れ、ため息をついた。知らせを聞いたときから、「他人事じゃないんですよ」という松本の言葉が頭を木霊している。はあ、と息をつきそうになって、今自分がいるその場所が隊首会の開かれる一番隊であることを思い出しなんとかこらえた。

今日、〝例の兄妹〟がやってくる。

「そろそろかの」

十一番隊を除く全隊長が揃ったその場で、総隊長が呟いた。音のなかった場の空気が少し和らいだが、方々から発せられる微妙な緊張感に居心地の悪さを感じる。一部の者は楽しみを隠しもしない顔で、他の一部は緊張の面持ちで、あるいは興味なさそうに、その扉から入ってくるであろう人物を待ち受ける。特に京楽などは気分もルンルンとした様子で、浮竹も心なしか顔色がよく感じられた。
再度ため息をつきそうになったときだ。

ギィと音が鳴ったのを合図に、全員が扉の方へ視線をやった。

「遅かったのぉ」

総隊長の嬉々とした声。それに、十二人の視線を集めた人物が無表情の中にある眉を小さく寄せた。

「五分前ですよ。総隊長殿」

その透き通った声が場に浸透していく。

〝例の兄妹〟の妹がそこに立っていた。

一週間前チラリと頭をよぎった屈強な大女の欠片すら持ち合わせないような風体に、予想外の外見に目を見開く。
落ち着いた清冽な雰囲気が、綺麗な水色の瞳が、そして――俺と変わらない背丈が、今まで浮かべていたどのイメージをも吹き飛ばしていった。驚くほどの存在感。だが感じる霊圧は抑えられていて強いのか強くないのかはわからない。総隊長のお墨付き――秘蔵っ子だとも言われているのだ。弱いはずはないが。

真っ直ぐに総隊長へ注がれていた視線はチラリと隊長陣を一瞥し、彼女のため息を煽ったようだ。ふぅ、と抑えきれなかった息が漏れた。

「そこはほれ、ウキウキで早めに来ておくもんじゃろう」
「ウキウキしてないので」
「つれない奴じゃな。……陽はどうしたんじゃ」
「途中で十一番隊隊長に出くわしてそのまま乱闘してます」
「……あやつも相変わらずじゃな」

呆れたように彼女を見、それに不満そうな視線を返された総隊長が苦笑する。
彼女は思い出したかのように不可解そうな顔になった。

「何で平の隊士が一人増えるだけで隊首会なんですか?」

場がシン、と静まった。その変な空気に、彼女はその整った顔の眉間に皺を寄せ、胡乱気に総隊長を見る。
そのまま、彼女一点に注目していた視線が全て総隊長に注がれた。
この空気とは裏腹に、外では彼女が言う〝乱闘〟が実際に起こっているらしく、ドンドンと騒がしい音と隊士の叫び声にも似た歓声が遠くで聞こえていた。もう一種のお祭り騒ぎだ。ドタドタと廊下を走るような音もあり、どうやら道場の中だけでは済まなかったらしい。

「お主の役職は〝隊長及び副隊長補佐官〟じゃ」
「は?」

彼女は訝しげな目で総隊長を凝視する。それから少し時間を置いて無表情に戻り、額に手を当ててはあ、と今までで一番深い息を吐き出した。

「……そんな役職ありましたっけ?」
「なかったの」
「じゃあ何で僕がそこに?」
「お主等のために作った役職じゃ」
「…………」

彼女は馬鹿を見るような目で総隊長を恨めしそうに見る。それに総隊長は全く動じず、いつもの飄々とした空気全開で真正面から受け止めた。
外の喧騒は少しずつこちらへ近づいてきている。

「…………冗談じゃない」

ボソッと紡がれた言葉は、低く唸るような響きを持っていた。
トントン拍子以上に早く進む会話の流れに、また数人ついていけていなさそうな人物が出る。彼女はくるんと後ろを向き、さっき入ってきたばかりの扉を勢いよく開き、息を大きく吸った。

「陽!!」

よく通る声を張り、〝兄〟の名前を呼んだ。ダダダダダッと駆ける音がし、今まで戦っていましたという風体の、彼女と同じ色をした男が現れる。

「何だよ、どうかしたか?」
「……自分の役職聞いた?」
「いや?」
「〝隊長及び副隊長補佐官〟だってさ」

苦々しい妹の声に、兄は眉を小さく下げて総隊長に目を向けた。そこにはさっきと様子の変わらない彼が立っている。

「何か不都合でもあるかの」

無表情の総隊長と、彼女が睨み合う。途端、部屋の中は緊迫した空気に包まれた。

「話が違う。〝平なら〟引き受けると言ったはずですよ」
「こちらも〝善処する〟と言っただけじゃ」
「全然善処してねー結果だよ明らかに」
「落ち着きなさい。ほれ、ここにお主等の母親の署名もあることじゃ」

ピタリ、と音を立てるように二人の動きが止まった。そっくりな目を見合わせて、驚いた視線で総隊長が持っている紙に目をやった。
そして、そこに書かれている文字を見て妹の方がギリッと奥歯をかみ締める。

「……やられた……!!」

その様子を見ていた兄は、苦笑して妹の頭をポンポンと撫でた。

  • 2020/06/05
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