あの背中に憧れを抱いた時から、目指すべき地は決まっている。


シンとした空気の中、ぼんやりと意識が浮上する。どこだろう、とぼやける目を擦り、身じろぎをした。冷たそうな石壁と、少し動いただけで軋むボロボロのベッド。本当に体に巻き付けているだけの薄っぺらいシーツは埃臭い。

(あー……そっか)

そういえば駐屯兵に連れられて拘置所にいるんだった、と思い出す。これから自分はどうなるのだろうか。もしかして、このままだと調査兵団に行くこともままならないのではないだろうか。処罰された後のことなど何も考えていなかった。これから何が待っているのかと考えると、恐ろしい方へ思考が走る。そうか、あの時もまだ自分は興奮していたのだと気付く。そんなことにも考えが及ばなかったとは。

(無理もないか……)

あの人に一歩近づけるというだけで、私は朝から浮足立っていたのだ。だってそうだろう。憧れの人に近づいていける、その未来が一本の筋として見えていたのだから。

あれからどれくらい時間がだったのだろうか。今もまだ街は混乱しているのだろうか。104期の皆は無事だろうか。頭が回りだすと、考えるべきことは多すぎるくらいに多い。こんなところで寝ては居られないと上体を起こすと、痛みが全身を駆けた。酷使した筋肉が悲鳴を上げている。とてもじゃないが動きたい状態ではない。ふっと息を吐き、痛みをやり過ごす。こんなところで休んでいないで、早く同期達の援護にいかなくては。奥底から焦りが湧きだしていた。立ち上がろうと体にむち打ち動いた瞬間、視界に人が映る。まさか人が居るとは思わなかった。バッとその人を向いた瞬間。

「!? ……え……?」

思わぬ人が、ボロボロのベッドに腰かけ、冷たく堅い石壁にもたれかかり、寝息を立てていた。

「……リヴァイ、兵士長……」

後ろを刈り上げた黒い髪、取れなさそうなくらいに深い眉間の皴、筋肉質な肩、腕、足、重そうな立体機動装置、納められたブレード――憧れのその人が、そこで寝息を立てている。シーツもかけずに、座ったままで。
思わず手が伸びていた。触れるか触れないかのところで一瞬躊躇い、そっと、宝物を触るように、逞しい腕に触れる。顔にかかった前髪を静かに避け、彼の顔を間近に見る。

「……」

夢でも見ているのだろうか。あんなに焦がれた、あの人がこんなに近くに。呆然とする。仲間のところへ行かなくてはと思うのに、体が動かない。焦りがどんどん凪いでいく。この人がここにいる、ということで私の中に希望がふつふつと沸き上がった。この人が居れば何とかなる。この人が居たら何とかしてくれる。この人が居ればなんでもできる。そういう、思い。


「……いつまで見てんだ」
「!!」

目を開くと、は肩を跳ねさせた。ビクリッと凄い驚きようだ。そのうちわたわたと慌てだし、申し訳なさそうに肩を縮める。

「す、すみません。起こしてしまいましたか……?」

あまりにも小さくなっているのが不憫に思えた。項垂れてつむじが見えている頭に手を置いて二、三度撫でると恐縮したように固まって動かないでいる。緊張しているのがありありと伝わって、こちらにも伝染しそうなくらいだった。

「……いい。大丈夫だ。それよりお前は」
「え?」
「体は大丈夫か。怪我は」
「あ……怪我は擦り傷くらいで、問題ありません。その、情けないことに筋肉痛が……」
「それは仕方ないだろう。初戦だったんだ。もっと労わってやれ」
「あ、ありがとうございます。兵長、あの……外は……?」
「巨人は何とかなった。今は後始末をしているはずだ。まあ、色々問題はあるが……ああ、お前はいかなくていい。片付けを手伝えるような体でもないだろう。上には、トモエ・アレンスだったか? あいつから連絡を回すように言ってあるから大丈夫だ。あいつらの処罰についても問題ない。”逃亡”はしてないし新兵だからな。げんこつくらいで済むだろう。……どうした?」
「いえ……」

呆気にとられたような顔でこちらを見るそいつは、眉を下げ、目を細めて、ふにゃりと笑う。その笑顔が幼い頃のこいつと重なり、でかくなったが笑い方はそのままだな、と思った。身長も俺よりは少し低いが、まあそれくらいにはでかくなっている。それでも、あの時の頼りなさげな、それでいて立ち向かおうと足掻く、強くあろうとする、ガキのままに見えた。

「リヴァイ兵長は、もっと無口な方だと思っていたので」
「バカ言え。俺は元々結構喋る」

それからしばらくの間、こいつが居なくなったあとどうなったのか、10班の人間の話や、俺がここに来た経緯。俺が知っていること全て、起こった出来事を一から話していった。エレン・イェーガーの話を聞き、幼馴染なんだと言ったは心配そうに目を陰らせたが、頭を撫でてやると落ち着いたようにあの笑顔を浮かべた。「きっと、大丈夫ですよね」。そう希望を持って――それが希望だとわかっていて口にしている彼女に、肯定の返事をするしかなかった。


手伝うことが出来なくても空気を共有したいという彼女に肩を貸ながら外へ出た。できるだけ俺に体重をかけないように気を遣いながら、できる限り自分で自分を支えようとする彼女の足は、痛みと疲労でプルプルと震えている。

「おい、もっと体重かけろ」
「いえ、申し訳ないですし……」
「いらない気を遣うな。お前一人くらい支えられない俺じゃない」
「……はい。ありがとうございます」

肩の重みが心地よかった。誤魔化すように「それよりお前は体を休めて回復に専念しろ」と言えば、「はい」と神妙そうに頷いてから、やはりあのふにゃりとした顔で笑うのだ。その笑顔にどこか、安らぐ自分が居ることに気付きながらも、気付いていないふりを続けるのは至難の業だった。
細い腕も、薄い背中も、どこか頼りない。幼さを残した表情や、線の細い滑らかな髪、筋肉はついているはずなのに柔らかい体。酷使した体は自分を一人で支えることすらできないほど、いっぱいいっぱいだ。とても数十体の巨人を一人で倒したとは思えない容姿、空気。けれどこいつはそれをやってのけた。やってのけ、今も立とうとしている。

「リヴァイ兵長だけを、追ってきました」

柔らかな視線。「やっと貴方の目に入る所まで」そう言って、前を向く少女。ああ、眩しいな。眩しいが

「……悪くない」


あの背中に憧れを抱いた時から、目指すべき地は決まっている。

エレンみたいに外を目指すわけじゃない。私は、あの人のすぐ後ろにいつも居たいのだ。あの人の背を、守ること。それが私の望んだ前へ進む形だ。

そのうえで、あの人と共に外を見たい。外を見るなら、あの人とがいい。際限のない青空を、長く長く続く地平を、青々と茂る緑を、そして、広々とした海というものを、あの人と。
迷いはいらない。私の道は一本スッと真っ直ぐに通っていて、時折枝分かれするそれは生か死かの二択だ。ならば、掴み取る以外に方法はない。脇目も振らず彼の背だけを目指し、彼と同じ翼を背負いたいと思った。

壁を越え、広大な大地の上で、彼の少し後ろを歩きたかった。そのための努力なら、そのための恐怖なら、何だって受け入れられると思った。自分よりもずっと高い位置にある項でも、削いでやろうと思った。

――立ち向かったからといって生き延びられるかはわからない。けれど、立ち向かわなければ生き延びられるなんてことはあり得ない。

幼い頃、あの時に思ったことだ。経験上、それが事実であると知っている。

、準備はいいか」

優しい声が私を呼ぶ。仲間が待っている。あの人が、待っている。
皆がこの世界で戦っている。逃げたって逃げられないのだ。世界から、苦痛から、恐怖から、逃げうる手段なんて死しかないのだ。それではいけない。抗わなければ。抗いたいのだ。

私はそうやって、あの人の傍で生きていく。

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(どうしても離れられない、光)
  • 2017/07/30
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