駐屯兵は呆然と、リヴァイが出ていった扉を見つめていた。鋭い視線でもって『はどこだ』と言ったその低い声を思うと今でも身震いがする。そして彼が言った。

は調査兵団の兵士だ。勝手な行動はやめてもらおう』


拘置所の床と壁は冷たかった。木製のボロボロなベッドにペラペラのシーツで、私は泥のように眠った。環境は最悪だったが気分は悪くなかった。
昔立ち向かった時よりもずっと自然に巨人に向かっていけたこと。恐れ、怯え、それでも震えを表に出さなかったこと。吐き気を堪えながら両親の死と巨人のアキレス腱を削ぎ取ったときの情景を何度も反復し、反芻してきたのがよかったのかもしれないと思う。巨人は私にとって何年も見ずとも頭にこびり付いて離れない、忌々しい、憎々しい、紛れもない敵なのだった。それを打ち負かしてやった。私たった一人でも、上手く立ち回れた。この建物の多い壁の中だからそうできただけの話なのかもしれないが、それでも。

(よくやった)

自分に思う。そして、過去言われたその声ごと、思い出す。少しでもあの人に近づけている感覚。錯覚かもしれないそれでも、私にとっては確かな糧だった。
夢うつつに、あの時私の頭を撫でた手と同じように、誰かが頭を撫でた気がした。


ギイッと錆びた金属の鳴る音がするのに思わず眉間に皴が寄った。少女ははそれにピクリと反応したが、結局眠ったままそれ以上は動かない。俺はそれを見て思わず息をついた。
石の壁と床に覆われた室内はひんやりと冷たい。物が異常に少ないのはここが拘置所だからだ。木製の古臭いボロボロのベッドに薄っぺらいシーツが被せられ、それに包まるようにしてあどけない寝顔が小さく細い息を立てている。肝の据わった奴だと思ったが、彼女の班員から聞いた話を思い出し、違うな、と思い直した。一人で十数体の巨人を片付けたという新兵にとって――いや、何年も務める兵士にとっても驚異の事実。その面影は今の彼女にはない。柔らかな表情で戦闘による心身の疲れを癒そうと眠りこけるその様子はあまりに本能的に見え、起こすのを躊躇った。その代りにベッドの端に腰かけ、少女を凝視する。

(こいつが――)

あの日、リオに名前を聞いてよかったと心底思う。そうでなければこいつは駐屯兵の苛立ちのまま、何をされていたかわかったもんじゃない。唐突に、かつ非公式に拘留され、その報告は一切上に上がってこなかった。事態は一応鎮静したとはいえあの混乱の後始末で兵士達は未だ混乱の中にいる。俺があいつの話を気にして探しに来なければ、こいつはもしかしたら、臭いオヤジ共の慰み者にでもなっていたかもしれないのだ。そう思うと、なぜか心臓が冷える思いがする。

暗い茶色の柔らかそうな髪は短く揃えられていた。肌の色は白く、唇は自然な桃色で、長めのまつ毛が影を作っている。細い四肢と綺麗な指先。緩く丸まったその手をよくよく見てみれば、柔らかそうでいてそれだけじゃない、訓練の努力の痕が見える。

あの名前を聞いたときに、その容姿を見たときにピンときたのは俺にとってもあの出来事が衝撃的だったからだ。


俺が追っていた巨人の進むその先。曲がり角から急に走り出してきた小さい背に、俺は吃驚して目を向いた。危ない、死ぬ、と思った。その背は一度も止まることなく巨人へ向かって走り、巨人が小さすぎて捉えきれないほどのその身で咆哮を上げ、目の前の敵ののアキレス腱を削ぎ落した。一瞬の出来事に思えた。音を立ててでかいのが倒れていく様を、急に力が抜けたように座り込んでその小さいのが見つめるのを、俺は見ていた。

『リヴァイ!』

ハンジのその声が俺を現実に引き戻す。あいつが出てきた曲がり角からもう一体の巨人が現れたのに気付き、急いでアンカーを打ち込んだ。風を鳴らして横を通り過ぎる。チラリと視線をやって目視したそいつは、小さな小さな、なんてことない、ただの、普通の、少女だった。
巨人を始末してハンジの方へ歩み寄ると、そこにはハンジに抱きしめられ、嗚咽を堪えるようにしてズルズルと鼻を啜りながら泣いている少女がいる。ああ、怖かったのか。そんな小さい体であんな行動を起こしながら、こいつも怯えていたのか。そう、思ったのを俺は覚えている。『おい』と声をかければ涙で顔をグショグショにし、こっちを向いた。青い目が俺の視線と真っ直ぐにぶつかった。その瞬間、何か言いたかったことがあるはずなのにそれが全て霧散して口をつぐむ。気付いた時にはもう手が出ていて、そいつの頭を撫でながら言っていた。

『よくやった』

するとそいつは今までで一番大きな涙を流して、眉を下げ、目を細めて、ふにゃりとした顔で、泣きながら器用に笑って見せたのだ。


なるほど、あの時のガキか。そう思うと随分と懐かしい気持ちがする。

『リヴァイにそっくりな飛び方をする奴がいるんだ』

訓練兵に飛び方を見せた覚えなどなかった俺はそれに驚いたが、こいつがあの時のガキならばあり得ないことでもないだろう。それでもあの一回を見ただけで似たというのだからあの時のこいつは余程よく景色を見ていたことになる。そして、よくもまあ訓練兵でいながら模範的な飛び方にならなかったものだと感心を覚えた。もしかするとリオはそれを見守るために教官になったのかもしれない。そうさせるだけの何かがこいつにあったというのなら、もっと早くに教えてくれれば俺だって見てやれたと。しかし俺の助け無しにでも、は一人で巨人を相手に戦える兵士になってみせたのだ。

思わず手が出ていた。あの時と同じだ。そして、あの時と同じ柔らかい感触がする。細い髪を指で梳く。は僅かに身じろいだが、やはり目を覚ますことはない。十五の子供が戦うには、巨人数十体は相当な負担だ。それがたとえ訓練を終えた新兵であっても変わらない。彼女が十歳の頃、巨人のアキレス腱を削いだアレよりは心的負担は少なかっただろうが、おそらくまだ体がついていっていないだろう。

「……よくやった」

起こさないように柔らかくの頭を撫でる。駐屯兵との交渉は終わった。驚くほどすんなりと済んだおかげで、こいつの見張りは俺がしてやれる。

「安心して、ゆっくり寝ろ」

もっとまともなベッドはないのかと拘置所に言っても仕方のないことを思い、息をついてから俺は上着を脱いで彼女にかけた。

夢見る

(この優しい手は、誰?)
  • 2014/07/26
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