私は仁王雅治の〝カノジョ〟ってやつになったらしい。


最後の組み分けで三年B組になったのは何の縁か。一年も二年もあの銀髪が同じ教室内にあった私は、しかしそれを気にも留めなかった。同じく一年から一緒の担任は、新学年の初めにまず席替をする。新しいクラスで初対面のクラスメイトと早く馴染むためらしい。しかし、去年も一昨年も同じクラスだった仁王と私とが、その最初の席替で毎回隣になるということに彼は気付いているのだろうか。これでは多分、彼の言う目的を果たしていることにはならないだろう。「なんじゃ、今年も隣か」。そう言って笑う仁王相手に「らしいね」と簡単に返して、その日はそれ以来会話がなかった。

仁王と私は席が隣にならない限り関わりを持つようなタイプではない。それは片方がではなく、双方共に逆ベクトルというどう考えても交じり合わないものだ。彼が左を向くなら私は右を。逆もまた然り。会話らしい会話はなく、挨拶すら隣のよしみだ。席が離れればわざわざしない。

しかしそれも当然といえば当然の話。

片や常勝立海テニス部のレギュラー。片や一般生徒A。美人でもなければブスでもない。言うなれば〝普通〟。映画の俳優とエキストラくらいの差があるのは私が何より承知している。
踏み込む必要性はないと思っていた。少々の雑談はするが、それまでだ。隣だったからしただけのこと。毎日部活に精を出し、外野の女子からキャーキャーと黄色い声を浴びせられている彼とは、同じ中学生でも別世界の人くらいの距離感があると思っている。現に今、彼は自分の横に相応しい女子を据えているわけで、そうするともはや芸能人カップル並みに見えた。

だから私にとっての仁王雅治は常に画面越し。ブラウン管でもなんでもいい。ちょっと身近なテレビの中の人、みたいな感じだ。とりあえず、そのはずだった。

「なあ

その日、ふと仁王が何かを思いついたような顔をして話しかけてきた。板書を移しながら「何」と返す私は彼の顔を見なかったが、声はごく自然でいつも通り。それなのに何を言い出すのか。

「付き合わんか」

聞いて、一瞬シャーペンを持つ手を止めた。授業中だから声は上げなかったが、内心は「はあ?」だ。生憎「どこに?」なんて問うほどそういう話題に疎いわけではない。何を言っているんだ、と眉間に皺を寄せ、視線だけで仁王を見やる。ニヤリ。眼鏡のフレームが少し邪魔だったが、浮かんでいたあのニヒルな笑顔だけはしっかりと確認できた。
私には彼の言うことが本気には聞こえないし発言の意図もわからない。もっと言えば、仁王雅治の言うことがどこまで事実でどこからが嘘なのか、それを見抜けるほど付き合いが深いわけでも勿論ない。

だが確実に本当だと言えることがいくつかある。

彼が仁王雅治という名前で、現在立海大付属中の三年B組に在籍していること。私の隣の席に座っていること。
そしてこいつには、間違いなく恋人がいる。

来るもの拒まず去る者追わず。ビンタを食らっても懲りた様子はなく、中学生でそれって大丈夫か? と他人の私が問いたくなるレベルの〝そういう噂〟の中心人物は大概仁王だ。興味がないため右から左に流れていくので詳細なんかは勿論覚えていないが、それだけは間違っていない。仁王から告白をしたという話は聞かないが、「じゃあ私のこと本気で……?」などと思うほどおめでたくもない私は、結局彼の言葉を本気ではないと結論付けた。

それらを考慮して、さてどうしてやろう。そんな思いでもう一度板書に戻った。仁王はそれを無視したのだと判断したのか、私に向けられる視線はほぼ同時に逸れる。頭の中には仁王のあのニヒルな顔がこびり付いて離れない。さもからかっていますとでも言いたいかのような表情は私を挑発しているようにも見えて、彼の単なる暇つぶしの一環のようにも見えた。それが私には、どうも無性に気に食わないらしい。

「いいよ」

隣にくらいは聞こえるだろうという音量で言った言葉は彼に届いたようだった。再度戻ってきた視線。もう一度チラリと見たその表情は珍しく驚きを孕んでいて、「まさか受け入れるなんて」という色が載っていた。だがそれを言及してはやらない。それに気づいて冗談だと言ってやるほど優しくもない。

内心に宿った優越感を、見せたりはしなかった。
さも無愛想で人付き合いの上手くない、故に噂に疎いかのような空気で追い打ちをかける。

騙されてあげるよ

(そっちが言い出したんだからな、と内心私はほくそ笑んだ)
  • 2012/05/29
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