上手い言葉が見つからない。

このまま、心の切り替えが出来ないまま、いつまでも停滞していたって仕方がないと思うのに、今その〝停滞〟の原因を作っているこの厄介な気持ちを伝える言葉がわからない。
「好きです」? でもそんな、柔らかい、優しいだけの気持ちではないのだ。好きは好きでも、そんな、ただの〝好き〟ではないのだ。例えば蓮二が私から離れてしまうようなことがあったなら死んでしまいたくなるくらい、好きなのだ。そんなある種乱暴な感情を、私の少ない語彙では到底伝えきれないように、思う。もどかしくて苦しくて、でも愛しいと思うこれを、私のこの気持ちを、ちゃんと彼に伝えて、真摯に考えてもらえるだけの、優秀な言葉達がどこかに転がっていないものだろうか。転がっていたとしたら、世の女の子達は告白するのに言葉で悩む必要は一切ない。

伝える覚悟が出来たらこれか。

溜息をつくのを堪えて真剣に考える。今までテスト前にだってこんなに真剣になったことはなかった。受験だって何だって、わからなければ蓮二に聞いた。蓮二は私に付き合ってくれたし、一から十まで丁寧に、私がきちんと理解できるように教えてくれたのだ。
だけど今回ばかりは彼に頼ることはできない。

私がこんなに焦って言葉を考えるのには訳がある。まったりと悩んでいるような時間が、もう既に残されていない状況を作ったのは紛れも無く私だからだ。どうしようもないな、と思う。だけどそんな風に追い詰められなければ、とてもじゃないけど正常な状態では、言えないと思う。

これは間違いなく、私の一世一代の告白なのだから。


『蓮二』

久々に名前を呼ばれたな、と考える。授業の内容が頭に入っているのかすら甚だ疑問な精神状態で、それでもしっかりとノートを取るのはあの幼馴染に頼られたときのためであるような気がしてならない。うーんうーんと唸りながら考えて、結局わからなくて俺に聞きにくる。そのときに、できるだけ焦らず、できるだけわかりやすく、彼女がしっかりと理解できるようにしておいてやりたいのだ。それは、解がわかったときのあの清々しい表情が好きだから。

『あのね』

久々に名前を呼ばれ、振り返っても、結局まだ彼女の瞳を真正面から見ることはできなかった。純粋で澄んだあの目が好きなのだ。白い肌の中に納まるあの大きく黒い目が、昔から。

『今日、放課後一緒に帰ってもいいかな』

いつもならば「一緒に帰ろ」と微笑んで言われるはずの言葉が、俯きがちに、躊躇いがちに、言われることが寂しかった。俺達はそんな、相手に遠慮して、取り繕って、やっていくような仲ではないだろうと、そういう言葉が口を付いて出そうになったのを、俺は必死に押しとどめた。

は今、悩んでいる。

何にかはわからないが、それがとてももどかしいが、何かについて悩んでいる。そしてそれは、察するに俺を頼れないようなものであるらしい。そうでないなら彼女は俺を頼ってきてくれるという、に一番頼られるのは自分だという自信があるから、そう結論付けただけだが。

『ああ、一緒に帰ろう』

でも部活があるから、待っていてくれ。そう言ったとき、うん、とやっと小さく微笑んだその顔に少しだけ安心した。
いつだって横で微笑んで、楽しそうに話すを見ている俺が、どんなふうに思っているのかを彼女は知らない。
部活が終わるまでの長い時間を待って、お疲れ様と俺に笑いかけて当然のように横に並ぶに、俺がどう思っているのかを、彼女は知らない。


、帰らないの?」

最近柳を避けている親友の名前を呼ぶ。
彼と一緒に帰らなくなって私と下校するようになったは、いつもならば柳に会わないうちにと荷物をまとめて駆け寄ってくるのに、今日はそれがなかった。不思議に思って彼女を見ると、椅子に座ったまま手を拳にして、笑みを顔に宿さないその子がいる。
ああ、何か心境の変化があったんだな、と思うのは容易い。

「巴」
「何よ」
「今日、」

「蓮二と一緒に帰るの」。固い声で言われた言葉。「そう」と気のない言葉を返して彼女の席に近づくと、不安そうな目が私に向いた。そういう視線が今まで柳に一直線だったことを考えると、彼の我慢強さには辟易させられる。よくもまあ、今まで手も出さず頑張れたわね、と思う。高校生になってもまだ幼さの残る幼馴染を、日々待ち続けている彼に、一刻も早く幸せが訪れればいい、と親友の幸せを願うついでのように思った。

「頑張りなさいよ」

あんた達は、あんたが動けば上手くいくんだから。
後に隠した声には気付かない。だけど無意識に、やってのけるだろう。
柳に向き合うと決めたその変化が、どのようにして成ったのかはわからない。でも、あんたは考えて動くような、そういうタイプではないだろうと心の中から声をかけた。そしてそれを、意識せず拾って駆け出すのがなのだと、知っている。

「ありがとう」

まだぎこちない表情。強張って、上手く動かない表情筋。
その笑顔は咲きかけの花に似ていた。


蓮二がいつも、練習が終わった帰り道でポカリを買うことをしっかり覚えている。ああ、そろそろ部活が終わるなあ、と思い席を立ち、鍵を職員室に返して自販機に向った。
夏が終わりかけていると強く感じる日の落ちる速さに、哀愁が浮かぶようだった。何でよりにもよって、気付いたのがこの季節。秋の夕空というのは春や夏のそれよりもひ一際憂いを伴って、私の気持ちを追い立てるようで。
ゴトンッと音を立てて自販機が出したそれを手に取ると、その冷たさに背筋がピンとした。何となく、寒く感じるのは心境のせいもあるのだろうかと鬱々としてくる。
少女漫画で告白をする女の子達は皆、頬を染めて必死で、可愛いのに、現実ではそうもいかないらしい。

私一人しかいない教室で落ち着けたはずの心臓は、時間が迫るにつれて限界を目指すかのように不安定になっていった。荒波というくらい激しいときもあるのに、不安でジンジンするように鼓動を刻むときもある。緊張で気持ち悪くなってきた、という感じがする。蓮二のために買ったポカリを飲んでしまいたい衝動に駆られながら、私は校門の端で冷たい石の感触に背を任せた。

?」

向こうからやってきた靴音にビクリと肩を揺らしてそちらを向くと、そこには幸村くんがいて、ホッと胸を撫で下ろしながら「幸村くん」と名前を呼ぶ。彼は不思議そうな顔をして、それから淡く微笑んだ。

「何か、久しぶりだな。そこにがいるの見るの」
「そうかな」
「うん」

綺麗な瞳で私を見て、「余計なことをしたかと思ったけど」と呟いた幸村くんの顔には柔らかな安心が滲んでいて、私は首を傾げた。余計なこと? 私は幸村くんに何かされただろうか。むしろ、気付く切欠になった彼の言葉には感謝しているくらいで、他の事は何も思いつかなかった。

が切り替えついたようでよかったよ」
「よかった、のかな」
「よかったよ。絶対にね」

何か確信となるものがあるのか、彼は力強くそう言う。それに疑問を持った私に気付いただろうに、幸村くんは静かに笑って「待ち人がそろそろ来るようだから、俺は帰るよ」と歩き出す。

「あの、幸村くん!」
「何?」

素直に振り返られてしまって、私は一瞬どう言えばいいのかわからなかった。ありがとう、は何か違う気がする。今日はこんなことばかりだ。一瞬躊躇って、頭の中に浮かんだ言葉はあまりに普通で平凡なもの。

「また明日!」

少し驚いたように目を見開いて、彼は微笑んで言った。「また明日」。
彼が歩いていって少しすると、幸村くんが言った通りもう一つの足音が近づく。

私を呼ぶその声は、どんな声が言うよりも私の耳に馴染んだ。「蓮二」。出た声は強張っていなかったか。いつも通りにできただろうか。いや、多分できなかったな、と思ったけれど、それだけ私に余裕がないことすら、蓮二にはどんなふうにしたって誤魔化しきれないのだからと思うと開き直りに近い感情が生まれる。

「お疲れ様」

できるだけ笑って言いながら、蓮二にポカリを渡す。少し驚いたように見えたけど、気のせいだろうか? 「ああ、ありがとう」。聞くだけで落ち着く低い声。だけど今は、一緒に動悸すらも呼ぶのだからたまらない。落ち着けばいいのか心乱せばいいのか逡巡している心臓に、私は落ち着け、落ち着け、と思う。

「帰ろっか」

いつ、どのタイミングで、言えばいいのかがわからない。散々考えた言葉だって、私は結局まだ定められていない。そんな数々の不安を抱えながら、蓮二に言う。不自然であるはずの態度にも、蓮二は追求せずに「そうだな」と言ってくれて、ああ、今までこうやって、私がどうにもならないことを抱えていて話せずにいるときは静かに待っていてくれていたなあ、と思う。だから私は蓮二になら何でも言えたのだ。


強張るような、少し不自然な笑顔。上手く笑えないのは、には珍しいことだと思う。
彼女が何に悩んでいて、何を思って俺を避け、何を思って下校に誘ったのか。聞き出したいことはいくらでもあった。できることなら聞き出して、その表情をいつもの柔らかいものに戻してやりたかった。穏やかに、明るく、微笑むそれを俺が見たいがために。
避けていたのに今日こうやって誘ったということは、少しでも何か話す心構えができたということなのだろうと思う。いつ言ってくれるのか、タイミングを図っているのだろうと気付いて、できるだけ言いやすいようにしてやれればいいと思いながら、逸る心を押しとどめる。

一週間以上、の固い表情を見ていたのだから、まだ待てるだろう。そう言い聞かせて。


私は今焦っていた。いや、元々焦っていたのだけれど、その心を余計に焦らせている。

(もうすぐ着いちゃうじゃん……!)

いつものようには弾まない会話。途切れる声の作る静寂が居心地悪いなんて、今まで思ったことは一度もなかった。タイミングを図るだけの余裕もなく、久々に蓮二が横にいることの嬉しさと、これから伝えることの結末を考えてやきもきするばかりで。それすら呆れられていないだろうかと思ってしまうことが声を出すことすら尻込みさせた。

情けないな、と思う。

言いたいことを言えないような、そこを躊躇するような、そういう仲ではなかったはずなのに。ことがことだからか。いや、だけどこれは、仕方がないというにはあまりにも寂しいのではないか。
そんなことを考えている間に家の前まで来てしまって、ああ、時間切れかな、と半ば諦めた。だけど蓮二の口からは「また明日」も「おやすみ」も出てこない。

待ってくれている。

私が何か、言いたいことがあるのだと気付いてくれている。尻込みして中々言えないでいることも、理解してくれている。そう気付くのに必要な時間は過去、一緒に歩んできた。

「蓮二」
「どうしたんだ」
「あの」

それでも出てこない言葉。何て言えばいいの。私のことをもっと知ってもらうために、私の気持ちを知ってもらうために、何を言えばいいの。

『大きくなったら、を俺のお嫁さんにしたい』

思い出したのは、その言葉だった。

昨日夢で見た、過去の記憶。ただの夢ではなかった、妄想でもない、現実味を持った思い出だ。
あれは今も有効だろうか。あれを蓮二は覚えてくれているだろうか。
私は、

私は昨日思い出したばかりだけれど。

「大きくなったから、お嫁さんにするの前提でお付き合いしてもらえませんか」

恥ずかしくても真っ直ぐに目を見て、言った。久々に真正面から見た蓮二の顔に、やっぱりこの人が横にいないと自分は駄目になると痛感する。蓮二、蓮二。今顔を見れたことが凄く、幸せだと、私は思っているよ。自分で避けておいてなんだけど、だけど、心の底から。

あの日の約束を今

(驚いた後ふと笑って「ああ、そうだな」と言った彼が、それすら今まで待っていてくれていたということを、私はその時初めて知った)
  • 2012/10/20
  • 19
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