最近幼馴染がおかしい。

おかしくなってすぐに気づいたと思う。きっかけは、いつもなら真っ直ぐ見てくる視線が合わなくなったことだった。なんとなく、距離を置かれているような気もする。気もする、ではなく、確実に置かれている。
はあ、と漏れたため息に反応したのは、横でストレッチをしていた精市だった。「どうかした?」と問いかけるいつもの様子に、何か含みがあるように感じるのは俺だけなのか。現に弦一郎は気づいていないようだった。ふ、と眉間に力が入るのがわかり、意図的に筋肉を緩める。「いや」と返したその言葉を、精市がどう受け取ったのかを考える余裕はない。

「なんでもない」

もしも本当になんでもないなら、もう少しまともかつ冷静に思考が進んでもいいだろうと、俺は自分の言葉に反論した。



「んー?」
「あんたね、まだ柳のこと避けてんの?」
「あ、巴、私シェイク飲みたいシェイク!」

あまりにあからさまな話題転換に、巴は呆れた顔をした。自覚してから一週間。ずっとこんな調子の私に、彼女もいい加減しびれを切らしてきているらしい。

恋人がいないのに、蓮二の部活が終わるのを待たず一人で歩いた通学路。夕方の雰囲気も相まって酷く哀愁が漂っていたような気がする。何よりも、辛気臭かった。その原因は私にある。そんな嬉しくない空気に一週間で慣れてしまった自分の順応性に自分で少し驚いていた。
本当なら、避けるような時期ではないことくらいわかっている。好きだと自覚したならば、相手に少しでも好いてもらえるよう、努力すればいい。それなのに何もしないのは、何をしていいのかがわからなかったからだ。今まで何もかぶらない素のままに接してきた相手を前に、何を努力すればいい? 私がしてきた努力なんて、きっと蓮二は両親以上に知っている。
会って目を合わせてしまえば、私の気持ちの全てを知られてしまうような気がして、ここ一週間、蓮二の顔をまともに真っ直ぐ見ることができない。なのに私は、蓮二の気持ちなんてこれっぽっちもわからないのだ。

「これだけ避けられてれば、柳だっていい気はしないでしょうよ」

私が奢ったシェイクを飲みながら巴が言った。中々出てこない中身のせいで頬がへこんでいる。美人なのに、こういう遠慮のないところが残念だ。けど好きだ。

「でも、」
「案外真正面からでも話せるんじゃない?」
「そうかな……」
「“ういっす蓮二! 今日一緒に帰ろうゼ”的な」
「言わないよ!!」

本気か冗談か。冗談だと思いたいが、彼女の真顔で言われるとなんでも本気に聞こえるのが少し怖い。だけど、今蓮二と言葉を交わせないでいるというのが、私にとって困った状態であることは事実だった。交わせないのではなく、交わさないのかもしれないけど。
一言で言うなら“寂しい”が妥当だ。生まれてこの方、一日だって言葉を交わさなかった日はなかったと言っても差し支えないような(まあ実際は交わさない日もあったのだけれど)、そんな相手と一週間、まともな会話すらままならないなんて。しかもそれが想いを寄せる相手なら尚更。

それでも怖いものは怖い。

もうこれ以上近づきようがないくらい近いと、少なくとも私は思っている。蓮二がどう思っているのかはわからない。そして、近づきすぎたなら、今度は離れる以外にないのではないだろうか。何よりも、私が想いを告げたところで蓮二も同じ気持ちだという保証はどこにもなくて、しかもその方が確率的に高い気がして。

「……私、蓮二に嫌われてないかな」

それが今、一番の不安だった。

口に出すとやはり妙にしっくりくる。俯きがちになって呟くように吐いた言葉はしっかり巴の耳に届いたらしく、必死にシェイクを吸っていた音が止んだ。やや強めに机に置かれた紙コップの音が間抜けに響いたけど、それに突っ込めるだけの明るさは今の私にはない。

「馬鹿言ってんじゃないわよ」

いつもよりも随分低い巴の声。変に思って視線だけを上げると、彼女の眉間にはめったに刻まれることのないしわが寄っていた。
「あんた今まで柳の何見てたの」。怒った口調の巴がため息をつく。

「嫌いなら、いくら幼馴染でもあんたのために時間割いたりしないわよ」


家に帰ってまずしたことは、押し入れの上の方にしまわれているアルバムを引っ張り出すことだった。生まれてから今までずっと増え続けている写真の数々。一番初めの方を引っ張りだして見てみても、最近のものを見てみても、蓮二がいることはわかっていた。アルバムを見ただけで蓮二の全てが分かるとは思わない。ただ、私がいつから蓮二を好きだったのかが知りたかった。蓮二が私のことを少しでも好いているという証拠を見つけられないかと思った。

めくってもめくっても、懐かしい記憶が溢れてくる。この頃はまだ私の方が背が高かっただとか、蓮二が初めて女の子からバレンタインのチョコレートを貰ったのはあの時だとか、忘れていたわけではないにしろ、底の方に眠っていた記憶を思い出せる。
分厚いアルバムの一冊を読み終わったところで、年少の頃の写真は全て終了したようだった。ふう、と一息ついて二冊目に手をかける。

ー、いい加減お風呂入りなさーい」
「はーい」

その時下の階から母の声がして、私はベッドの上から体を起こした。お母さんを怒らしたら怖いのは、多分どこの家庭でも一緒だろう。お風呂は後が詰まると困るのだ。見ることのできなかった二冊目は上がってから見ようと、欠伸を押し殺して返事をした。


「……」

もう寝ている。時刻は二十時。普段の彼女なら本を読んだり音楽を聴いたりしている時間だ。幼い頃から付き合いのあるうちと彼女の家では、遅い時間でも普通に家を行き来する。今日は母が少し遠出をしていて、その土産を届けてくれと頼まれたから訪問したのだが、ついでにの様子を見ていこうと思ったのは運がよかったのか、悪かったのか。
すでにパジャマ姿になった彼女は、頭を拭いている途中で眠くなって寝てしまったらしい。

、頭くらい乾かさないと風邪を引くぞ」

軽く肩を揺すると小さく息を漏らしたが、覚醒する気配はなかった。夏だとはいえ、生乾きの髪で布団も被らずに寝ていたら当然体調は崩すだろう。昔から抜けた行動が多いのは変わらないが、今更同い年の幼馴染にこんな注意をするようなことがあろうとは。あどけない寝顔に微笑ましくなる半面、呆れもする。しかも机の上には何やら積み上げられた大きな本が置きっぱなしだ。片付けようかと一冊手に取ると、見覚えのある表紙を意外に思う。

(……アルバム?)

同じものがうちにもあるから覚えている。うちのアルバムもの家のアルバムも、俺とは大抵一緒に写っていた。別にアルバムがここにあってもおかしくはないのだが、どうして彼女は急にアルバムなんてものを引っ張り出してきたのだろうか。高校に上がる前に一度整理したきり開いていないが、随分昔のものまで出してきたらしい。見てみれば、寝ているの頭の下にも一冊あった。写真から見るに、年中くらいの頃だろうか。
下敷きになっているアルバムだけでも救出しようともう一度の肩を揺する。今度は薄く目を開き、俺を視界に捉えたようだった。

、アルバムが下敷きになってる」
「……ぅん?」

寝起きで掠れた声に心臓が変な鳴り方をした。駄目だ、今鳴るな。自制心があってよかったと心の底から思うのは、最近では主にこういうとき。

「……」

頭をアルバムからどけたは、そのページを軽く眺めて、それからまた目を瞑った。いくら幼馴染でも、俺はこれでも男なんだが。そうも簡単に隙を見せていいのか。信頼されているのはわかってるが、微妙な気持ちになるのは致し方がない。俺達は高校生になって、このアルバムのように幼い子供ではないというのに。
ため息を堪え、アルバムを机の上に置く。に布団をかけてから、俺は部屋を後にした。


記憶よりも随分高い声が私の名を呼ぶ。「なぁに?」と振り返ると、彼は少し恥ずかしそうにはにかんだ。

『大きくなったら、を俺のお嫁さんにしたい』

驚いた顔をした幼い私が、満面の笑みを浮かべて「蓮二のお嫁さんになれるの?」と嬉しそうな声を出した。

近すぎて近付けない

(朝起きて、下敷きにしていたであろうアルバムが机の上にあるのを見たら、思い出すのは彼の顔)
  • 2012/09/21
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