さん、お疲れ様です」
「七緒ちゃん」

今日もキレイにピシっとまとめられた髪。眼鏡の奥の知的な瞳が少し和らぐ。百年前まだ小さな女の子だった彼女は、胸に書類を抱える様子が似合う素敵な女性になっていた。
もう忘れられていると思っていたのだけれど、流石というかなんというか。百年ぶりの再会でも名前を呼んでくれることが嬉しかったのは言うまでもない。
彼女はすっかり副隊長らしくなって、その成長がまぶしい。

七緒ちゃんは、そっと私のそばに湯飲みを置きながら、近くに腰かけた。

「ありがとう。私が出すべきなのに」
「そんな、気を遣わないでください。それに今休憩中ですよ。ご飯、食べに行かれないんですか?」
「ちょっときりが悪かっただけ。一息ついたら行くよ」
「ご一緒してもいいですか?」
「もちろん」

お昼はしっかり食べなければ、と二人で定食屋に行くことになった。
食卓に並ぶ一汁三菜のしっかりした食事に箸をつけながら、世間話をするのもこれが初めてではない。

「今日は隊長とお食事に行かれるんですよね」
「そうなの。仕事もあるのに、大丈夫かしら」
「大丈夫ですよ。今日は隊長も真面目に仕事なさってますし」

そういえば、今日は一度もふらふらと訪れる春水を見ていない。
一日に一回くらいは、「調子どう?」なんて顔を出しに来る。隊士達のやる気にも繋がっているようなのでそれ自体は良いのだけれど、七緒ちゃん曰く、お酒を飲んでサボっていることもあるらしい。私はまだその様子を見たことがないけれど、彼女が大層ご立腹のようだったので事実なのだろうと思う。

「でも外食、珍しいですね。いつもさんが作られているんですよね」
「うん、ちょっと……」
「……どうかされたんですか?」

七緒ちゃんが心配そうに眉を歪める。どうやら私が春水に何かされたのではないかと心配してくれているようだけれど、逆なのでいたたまれなくなる。
こんな話、若い子に相談してしまっていいのだろうか……と逡巡するも、副隊長である彼女からなら、もしかしたら何か出てくるかもしれない、と意を決して口を開いた。

「ちょっと、私が怒らせちゃって」
「え、京楽隊長がさんを怒ることがあるんですか?」
「そりゃ、そういうことも時々……元々は私の方が奔放なタイプだし」
「原因は、伺ってもいいんですか?」

優しい七緒ちゃんの目が、心配そうな、力になりますと言うような色をもって私を見ている。
私はそれに、小さな声で返事をした。

「あのね、その……行為が、ないの」
「行為……?」

ハッとして頬を赤らめ、七緒ちゃんが目を見開いた。
ごめんね、と心の中で謝りながら、彼女が咳払いをするのを聞く。

「それで、春水は男性だし、若い子がいいのならそういうお店に行った方がいいんじゃないかって……」
さん……デリカシーが無さすぎます……」

はあ、とため息をつかれ、やはりそうなのかと息をつく。「失敗したなあ……」と小さく漏らすと、七緒ちゃんもまたため息をついた。

「京楽隊長、さんに対してはすごく一途じゃないですか」
「それはまあ、そうね……」
さんは、その……したいんですか?」
「うーん……春水がしたいなら、という感じなのだけれど」
「……それじゃないですか?」

「何かお考えがあるのだと思いますよ」なんて言いながら、七緒ちゃんが卵焼きを口にする。
私も味噌汁をすすりながら、確かにそうだなあと考える。

私に何か問題があるのかもしれないとは考えたけれど、私の気持ちに春水が遠慮しているかもしれないというのは思いつかなかった。学生時代からの仲で、今さら遠慮やなんかとは無縁だと思っていた。
けれど、遠慮というよりは――気遣いだとしたら。春水も、勿論私も、相手を蔑ろにしたり、無作法にするのが良しと思うタイプではない。親しき中にも礼儀ありとは、よく言ったものだ。

「……ちゃんと話してみるわ」
「そうですね」

七緒ちゃんが優しく微笑む。なんだか私の方が年下のようだと少し情けなくなり、同時に自らの恋愛経験値の低さを思えばそれも当然かと思い直す。
せっかく食事に出かけるのだから、今日少し、ゆっくり話そう。そう心に決め、定食のたくあんをポリポリと食べた。


、出られるかい?」
「あ、うん」

定刻通りに春水が迎えに来てくれて、私は荷物をまとめて席を立った。「お疲れ様でした」と隊の皆に挨拶をして扉へ向かうと、何やら生暖かい空気で見送りを受ける。
うちの隊は、ありがたいことにこんな感じだ。むずかゆいけれど、祝福してもらえるのは単純に嬉しい。

「春水、お疲れ様」
もね。何か食べたいものある?」
「うーん……夏でも食べやすい、元気が出るもの」
「難しいねぇ」

春水はカラカラ笑った。どうやら機嫌は良いらしい。ルンルンと効果音が付きそうな様子だ。
家の中以外で二人、ゆっくりとした時間を過ごすのは久しぶりだ。毎日家と職場で顔を合わせているし、無理に出かけようという感じでもない。
そもそも、この一年はずっと慌ただしくて、付き合いの長さにかまけてデートすらまともにしていない事に思い至る。

「天ぷらとかどうかな?」
「それいいわね。海老とシソが食べたい」
「決まりだね」

お店に心当たりがあるらしく、春水は丁度良い歩幅で、意識するでもなく先導してくれる。こういうさりげなさは、昔よりも今の方が研ぎ澄まされているようだ。

今まではお互い知った仲だった。今さら恋人として睦み合うような間柄でもないだろうと、そういう気持ちがあった。だから、交際を始めたって私も春水も変わらない。友人から、そのまま関係性の名前だけ変わったような、そういう付き合いだった。

けれど、なんだか意識し始めると、途端に――……照れ臭い。

連れられた店は、小さな建物だった。暖簾をくぐり、木製の品のいい引き戸をカラカラと開け、春水が「どうぞ」と促す。
カウンター席が九つほど並ぶ静かな店内。奥の方に一組のお客さんがいる。カウンターの向こうで真剣に天ぷらを揚げていた料理人が、目を細めて「いらっしゃい」と上品に出迎えてくれる。

(絶対いい店だ……!)

そういえばこの人、上流貴族だったんだわ、と今さらながら思う。学生時代も今も、気さくで軽やかだからつい忘れてしまうのだ。私はその辺の家の子どもなので、こういうお店はなんだか慣れない。

、緊張してるでしょ」
「そりゃあ……下町のご飯屋か、自炊が主だもの」
「美味しいものは気を楽にして美味しく食べればいいんだよ」

「ね?」と春水が料理人に目配せをすると、やはり彼も出迎えた時と同じ笑顔で「ええ、それが一番ですよ」と優しい言葉だ。
それもそうか、と私は背筋だけやや伸ばして、臆することなく品書きを見ることにした。
天ぷらにして美味しいに決まっている食材が、綺麗な字でたくさん書かれている。

「……どうしよう……選べないわ……」
「好き嫌いがないのも大変だねえ。……あ、お任せがあるね。彼女、海老とシソが食べたいらしいんだけど、入ってる?」
「入っていますよ。お任せでご用意しましょうか」
「それでいい?」
「うん、ありがとう」

「あと、お酒だねー」と、春水は品書きをめくって私に見せる。天ぷらとお酒。美味しいに決まっている。

「辛口、甘口、どっちがいい?」
「今日は辛口の気分かな」
「お燗で出してもらいたいかな。どう?」
「うん、私もそう思ってた」

そうして注文を決めていくと、春水が慣れた様子で通してくれる。
ここまでくると、ふと肩の荷が下りたようになって、二人で外食をする久々を楽しむ余裕が出てきた。
鼻をくすぐる天ぷらの香り。これだけでお酒が飲める気さえする。
先に出されたお酒をつぎ合って、気分は最高潮だ。

「楽しみ?」
「うん、すごく。お酒も美味しい」

スッキリとした口当たりのお酒が、口の中を天ぷら用に整えてくれる感じがした。

「海老です」

薄黄色の衣と赤いしっぽが美味しそうだ。海老の天ぷらは、なんだか気分が明るくなる。
塩で食べるか、つゆで食べるか。そんなふうに悩みながらも、手早く塩と決める。天ぷらはスピード勝負。人差し指と親指でつまんでまんべんなく振りかける。

「……何?」
「気にせず食べて」

春水はなんだか、視線がいつもよりも、やわらかい。
くすぐったい気持ちになりながらも、天ぷらの味が損なわれないうちに口に入れる。

「……!」

美味しい……! 目が自然とパッと開いて、思わず春水を見る。春水は笑みを深め、「美味しいでしょ?」と楽しそうに、自分も海老を食べていた。
しっかりした大きな海老がぷりぷりで、薄すぎず厚すぎず、サクサクの衣。海老の香りと塩気が合う。きっとこれは、つゆも美味しいに違いない。
これは……

(最高すぎる……)


「美味しかったー……! ご馳走様でした」
「気に入ってくれてよかった」

外へ出ると、蒸し暑い夏の風が前髪を揺らした。ぐーっと手を広げ、伸びをする。

いいお店で、ちょっと緊張しながら、抜群に美味しい天ぷらを食べた。
海老の他にもイカやキスも美味しかったし、香りの強いシソも抜群。かき揚げやホタテ、カボチャも最高に美味しかった。
始終機嫌の良い春水の横に居て、なんだか昨日のピリッとした空気が嘘のようだ。

「じゃあ、帰ろうか」
「うん」

帰り道を春水と並び歩く。
いつも通りと言えばいつも通りなのだけれど、なんだかどこか、素っ気ない感じがする。
美味しかった食事に見合わない、余韻の少なさだろうか。

(素っ気ない、より呆気ない……かしら)

彼の機嫌は良いし、とても楽しそうにしている。私を見る目は穏やかで、素っ気なく感じるような要素は彼自身からは見受けられない。――ないと、思うのだけれど。

肩が触れるか触れないか。そんなこそばゆい距離に、春水が居る。
近すぎない、遠くない、そういうところが一番、もどかしい。

(……もしかして、焦らされてる……?)

どこか違和感を覚える作為的なその距離に、まんまと心を乱されている。そういう私が、いる。

食事と指先分の距離

(指一本、触れないのね)
  • 2020/09/17
  • 9
    読み込み中...

add comment

comments (4件)