「……うわ」

朝鏡を見たら、目の下に隈ができていた。深いため息が出るのと同時に、そろそろいろんな場所に支障が出てきていると感じる。会話がないのには何か理由があるのだろうか? 今までした喧嘩のどれとも違う状況に、正直戸惑いはピークに達していた。もしかしたら私は何かやらかしてしまったのだろうか。そう思い始めてしまった脳は、より一層私の睡眠を妨害するように働いているように思われた。
息をついて頬を軽く二回叩く。これから朝食を作って、シカマルを見送らなければいけないのだから。


朝食を作り終えるとシカマルが部屋から出てきた。洗面所で顔を洗ってから食卓に来るその間に配膳を済ませ、お茶を淹れて彼を待つ。
ため息はつかないこと。隈には、まあ最近の彼の様子からして気付かないだろうけれど、取り合えず注意はしておかないといけない。出す声は明るく。そうして自分が注意すべきところを頭の中で繰り返す。
カタンと椅子を引く音がした。ふ、と視線を上げるとシカマルが席に着くところだった。ああ、また思考に入り込んでしまったらしい。少し反省しながら、「おはよう」と声をかける。「はよ」と返ってきた声。朝だけはまだ、「おー」とかそういうものじゃない、まだ気のある返事だ。けれど、食事の間も、それからも、会話はない。
外へ出かけたため息を飲み込んで、窓へ視線をやった。晴天の空に浮かぶ雲の白さが目に痛い。

「ごちそうさん」

立ち上がったシカマルに習い立ち上がる。玄関まで見送って「いってらっしゃい」と言う。そして返ってくるのはやっぱり「おー」だ。
お皿を洗い片付けを済ますと、私は食卓の椅子に座り込んだ。頭が回らない。もう随分と長い間、こんな関係である気がしていた。シカマルに他の女性がいるとか、そういう影はないのだ。ただ、疲れているんだな、と思っている。けれどこうも相手にされていないと、私も流石に――体にまとわり付く倦怠感を振り払う気にもなれない私は、机に突っ伏した。
相変わらず、空は憎たらしいくらい青い。


薬の知識が豊富な奈良家と医療忍術に長けた家は元々家同士の繋がりは強かったけれど、私とシカマルが特別に仲が良かったかと言われるとそうではなかった。シカマルとは幼い頃から話したけれど、幼馴染というよりは知人に近かったような気がする。その証拠とも言うべきか、アカデミーに入ってからは尚更話すことも少なくなって、結局家という繋がりしか育たなかった。奈良家と神埼家との情報伝達や共同の任務で引っ張り出されることはあっても、私達は両家の間の手紙の受け渡し程度でしか関わっていなかったのではないだろうか。
ただ私は昔から、「めんどくせぇ」が口癖の彼が気になって気になって仕方がなかったことだけ、それだけがまるで絶対に忘れたくないとでも言うかのように、頭の中にある。「めんどくせぇ」と言いながら私の家に手紙を届けに来た彼が、私が手紙を届けに行った時に受け取った彼が、ご苦労さんと言って微かに笑ってくれるのが嬉しかった。


アカデミーに入ってすぐだろうか。その日私は修行をする気分になれず、ベンチに座ってボーっとしていた。ボーっとしていたら、その場所に着いた時はまだ昼だったのにいつの間にか夕方になっていた。そろそろ帰らないといけないな、と思いながらも動く気になれず、ボーっと赤くなっていく空を眺めていたのだ。チュンチュンと近くで小鳥が鳴いている。いつの間にか集まってきていた彼等は、何が楽しいのか私の肩に乗ったり頭に乗ったり少し飛んでみたりと、忙しない。それが少しおかしくてクスリと笑った時だった。

『……?』

バサバサッと鳥達が一斉に飛び立つ。突然聞こえてきた気になる人の声に、私は驚いて声の方向を向いた。そこには目を丸くしてこちらを見ている、シカマルの姿。今よりも若い、というよりは幼い彼が、彼の特等席に座っている私を驚きの混じる視線で凝視していた。

『シカマル……?』
『何してんだ、こんなとこで』
『シカマルこそ』
『ここ、俺の特等席』

『特等席?』と問いかけると、彼は『ここでボーっと雲見てんのが好きなんだよ』と言って私の隣に座った。

『にしても、お前凄いな』
『何が?』
『鳥だよ。何があんのかと思った』

『座ってたら集まってきて』とありのままを言うと、面白そうに笑って『変な奴』と言った。
居心地の良い沈黙の中でポツリポツリとする会話は、とても楽しかった。心が穏やかになって、温かくなった。ああ、私はシカマルが好きなんだ、と気付いたのはその時。
その時聞いた話で彼がしょっちゅう特等席から空を眺めてボーっとしていることも知っていたけれど、その時間を邪魔してしまうようで、その穏やかな空気を壊してしまうようで、そして何よりも照れくさくて、結局あの場所に近づくことは中々できなかった私は、アカデミー卒業後のフォーマンセルで彼と一緒になったいのを羨んだ。いいなあ、と漏らした私に驚いたいのは、そんな私に「あいつのどこがいいの?」と聞いたけれど、私は。

(それからもずっと、シカマルのことが――)


扉を叩く音で目を開けた。いつの間に寝てしまったのだろう。ボーっとする頭のまま、玄関へ向かい、扉を開けた。

「……母さん?」


「シカマルー!」

相変わらずの元気さで俺の名前を呼んだそれに、面倒くさいと思いながらも振り返る。「いのじゃねーか」。そう気のない返事をすれば、彼女は「私で悪かったわねぇ」と少し不満そうな声を出した。

「シカマル最近忙しいんだって?」
「あ? ああ、まあな。何でお前がそんなこと知ってんだよ」
「昨日に会ったのよねー。あの子、心配してたわよ」

「愛されてるわねぇ」と茶化すように言ういのに「うっせーよ」と返しながら、俺はにそんな様子があったかどうかを考える。疲れているせいか、上手く思い出せない。

「今日くらい早く帰ってあげたら?」
「……そうだな」

いのに言われるまでそんなことにすら気が回らなかったのか、と少し自分に呆れながら、今日の仕事の残りを考えて後の段取りを頭の中でシュミレートした。


「おかえり。お風呂入れるよ」

そう言っては慌しく台所へ入っていった。最近では珍しく夕飯前に帰ることができて、のエプロン姿なんか見るのは随分と久しぶりだ。風呂に入って食卓へ行くと、そこには俺が好きだと言った料理ばかりが並んでいる。昨日がサバの味噌煮だったから、今日は流石にそうではないのだが、とにかく美味そうな匂いがする。

「いただきます」

と二人揃って言うのも、なんだか久しぶりだ。それが不思議でならない。俺が家で飯を食う時、は絶対俺の向かいにいる。どんなに帰りが遅くなっても、風呂を沸かして、料理を温めて、は起きて待っている。そして俺が疲れて眠った後も、食事の後片付けをしてから俺より遅くに眠り、俺より早くに起きて朝食の準備をしてくれているのだ。それなのに〝久しぶり〟って……――違和感を覚えながら食事を食べ勧める。

俺と違って真面目で忍術にも積極的だったは、それこそ忍術しかやってこなかったせいか料理ができなかった。初めのうちは焦げた魚を出したし、塩と砂糖を間違えたりしてそれは凄いものだったが、今ではそんなこともない。がお袋に頼んで必死に料理を勉強している背中が好きだった。料理が出来るようになってからは、俺のために美味い物を作ろうと真剣なその背中が好きだった。それも、しばらく見ていない。

「シカマル」
「ん?」
「昼間母さんが来て、父さんが腰悪くしたって。しばらく実家に戻ってていい?」
「ああ、それはいいけど……親父さん大丈夫なのか?」
「本人は大したことないって言ってるけど、仕事がね、滞ってるみたい」

を見ると、声色はいつも通りなのに俺と視線が合わない。親父さんの腰が悪いってのが、そんなに応えてんのか? の家は代々医者の家系だ。大きくはないが診療所を開いていて、客足は昔から途切れることを知らないほどの。の親父さんも相当腕のいい医者で、そのハッキリした性格とあいまって、無理なら無理と直球で言う人だ。それに親父さんのことだけなら、お袋さんもいる。あの人も溌剌として元気な、働き者の女性だ。彼女が居るなら親父さんがなんと言おうが無茶なら止めるだろう。あの家は俺の実家と同じで母親の方が強い。

「……何かあったのか?」
「? 何もないよ」

心底不思議そうにしながら、笑顔を向けられれば俺は何も言えなくなる。けど、本当に? 初めて見るの様子に、俺は戸惑ったがそれを表すこともできないでいた。

不安を消したかったからで、

の目の下に隈が見える気がして、手を握りたいと思ったのに、このテーブルが邪魔でそれもできない)
  • 2014/02/24
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