実家に帰ってから三日。結局病院はしばらく休むことになったし、医療忍者の両親がいると、私ができることは家事のみだった。一度庭をうろついて母にこっ酷く怒られた父さんはそれ以来大人しく、元々病院で看護師として働いている母さんは、幼い頃からわかっていたことだけれどとても手際がいい。忍としては隠居の身だが、二人はずっと医者として働いてきたのだ。忍者としてどうかはわからないが、両親は私よりも医術に理解が深いし、私が居て何か、意味があるのだろうかとも思った。
ただ、久方ぶりに家で囲んだ食卓で父母が言った「料理が上手くなった」というその言葉に、私は自然と笑みを向ける。こんな風に笑うのは、いつぶりだろうか。
結婚してしばらく帰ってきていなかった家が懐かしかった。自分の部屋は荷物を撤収して閑散としていたけれど、時々兄夫婦が泊まりに来るときに使われて居るらしく布団だけは揃っていて、そこで見上げた天井の木目は、より一層懐かしさを煽る。

(ここでシカマルのことを考えて、眠ったなあ)

若かりし日の思い出だ。幼い頃、アカデミーに入ってから、下忍になって、中忍になって、上忍になって――そして、結婚し、引退し、あの人と暮らすあの家に住むようになるまで。
シカマルのことを考えて布団に入っていれば、気持ちよく寝られて、気持ちよく起きられた。そんな空間が、今は寂しくてたまらない。隣にシカマルが居ない布団は冷たかった。疲れて帰ってきて会話がなくても、彼の顔を見て、その隈に潜む仕事の忙しさを見て、心の中でシカマルに「今日もお疲れ様でした」とたった一言。それが自分が思っていたよりもよりも大切だったのだと気付く。

だけれど今そこに戻っていく勇気は、私にはない。
会話のない空間も、なおざりな返事も、私を見ないあの目も、見ているのが辛かった。今は少しでも、離れて休んでいたいと、思ってしまう。例え一日を終えて入る布団に彼の寝顔がなかったとしても。

父さんの腰は随分とよくなっていた。もう年なのかもしれないと思ったが、微笑む父にそんな影は一つもない。医者として働いている父さんが好きだ。患者さん達に笑顔でお礼を言って貰える仕事を、まだ父さんがしていられると思うとそれは嬉しかったけれど、腰がよくなるということは――……
目を瞑る。真っ暗になった視界に、眠気が襲ってくるのを感じた。夜遅くまでシカマルを待っていたから、私も寝不足なのかもしれない。

「帰りたく、ないなあ」

空気に溶けていくほど小さな声で呟いた言葉は私の心臓に直接響いて、消えない波紋を残したまま私を眠りへと誘った。


「悪かったね」
「ううん、全然」

母さんの作った朝食を食べて席を立つ。母さんの料理の味は変わらずに、とても温かいものだった。まだ布団から出ることを許してもらえていない父さんの所へ行って「それじゃあ、私帰るね」と言うと、「いつでも帰ってきていいんだからな」と穏やかな父さんは私の大好きな表情で微笑む。それに涙腺が緩みそうになりながら、堪えて「うん」と言うと、父さんは私の頭をポンと一回だけ撫でた。
玄関まで見送りに出てきた母さんは私にお昼のお弁当を差し出して、「あんた、もうちょっと顔だしなさい」と言う。それに苦笑すると、母さんが突然眉間に皺を刻んだのが見えた。

「シカマルくんと何かあった?」
「え……?」

厳しい表情で言う母さんは、問いかけているようでそうではなかった。何かあったのだろうと断定した上で、私に肯定しろと言う目。思わず瞬きをして、私でもあまり見たことのない顔をしているなあと思った瞬間、三代目に言われた言葉を思い出した。

『お主の勘の良さは、母譲りじゃのう』

そう言って私の頭を撫でた偉大な手を。
私は少しおかしくなって、クスリと笑う。母さんはそれに怪訝そうな顔をしたけれど何も言わず、ただ真剣な顔で私を見ていた。「何もないよ」と言う私の言葉に眉間の皺をより深める母さんには申し訳ないが、それでは鬼のようだ。

「……ただ、忙しいみたい」

ポツリと、思ったよりも力のない声に、自分自身がびっくりする。ああ、また甘ったれたことを言ってと、怒られるだろうか。アカデミー入学前、修行を渋った私に向かって言ったように。そんなことを思っていたというのに、母さんはしばらく何も言わなかった。無意識のうちに落ちていた視線を上へ上げると、そこには相変わらず、眉間に濃い皺を刻み、険しい顔をした母さんの姿がある。

「辛かったら、少し逃げてみな」

意外だった。何でも真正面からぶつかっていくことと、真面目であること、耐え忍ぶこと。それらは全て、母さんから学んだと思っていた。真っ直ぐでサバサバとしたこの人が、そんなことを言うなんて、と。母さんは一度私から視線を外して、「上手く言えないんだけどね」と前置くと、小さくため息を付く。

「あんたは、何でもかんでも耐えるところがある。到底耐えられないようなことでも、一度は耐えて見せようとするところが。忍としては優秀だしそれが悪いことだとは思わないけど、昔からそれが、私は心配だった」

シカマルがうちに挨拶に来たとき、父さんよりも真剣な顔をして、彼を今までとは違う新しい目で見ていた母さんを、ふと思い出す。今まで気にも留めなかったけれど、あの時母さんはなんと言った?

『あまり無理をさせてやらないでね』

そう、言いはしなかっただろうか。
母さんはもう一度私の目を真っ直ぐに見ると、揺るぎのない、〝母〟としてのそれで私を捉える。

「使い古された言葉かもしれないけど、私と父さんだけは、本当に、あんたの味方なんだからね」

安っぽい言葉だろうか。けれど、真っ直ぐな母の言うことなのだから、本当にそうなのだろう。私は心臓の底から湧き上がるような安心感を感じていた。「ありがとう」と素直に述べたお礼の言葉。それに納得したらしい母さんは、私の背をポンと押して、私の背が見えなくなるまでそこで見送ってくれていた。


木ノ葉の里を出たテマリは砂の里までの道中、木の下に座り込んでいる人を見つけた。友人と似た背格好とその雰囲気を怪訝に思いながらその人の前を通りすぎようとし、チラリと彼女の顔をチラリと覘く。

「……?」

そこには弁当を一包み抱え、ボーっと空を見るが居た。

「テマリ……?」
じゃないか。こんなところで何をしているんだ?」

テマリも里を出てそれほど経っていないとはいえ、そこはすでに木ノ葉からは結構離れた位置だった。任務にしても旅にしても軽装すぎるの格好に、彼女は眉を顰める。それに気付いたは苦笑を浮かべ、「うーん」と煮え切らない返事をした。

「テマリは、任務が終わって帰るところ?」
「ああそうだ。お前はどこかへ行くところだったのか? その格好じゃ無用心だろう」
「ああ……そうだね」

相変わらず苦笑のまま、いつもならもっとハキハキ話すところを戸惑いがちに話すに彼女は違和感を覚える。

(何かあったのか……?)

そして彼女には、がこれほどまでに悩んでしまうような事柄は、一つしか思い浮かばなかった。それは、が愛し、忍を引退してまで一緒になった、テマリとはある種縁の深い、やたらと頭のキレる男の顔だ。テマリは内心でチッと大きな舌打ちをする。

(何をやってるんだ、あいつは)

彼女が眉間に皺を寄せると、は家を出る前に見た母の顔を思い出した。またも人に心配をかけてしまっていると思うと居た堪れない気持ちになりながら、悩んだ末、小さな名案を思いついたように小さく微笑む。

「テマリ、私、逃げてきたの」

その言葉に目を大きく瞠るテマリを見つつ、は母からもらったお弁当を思い出し、それを開いた。

「テマリ、お昼はどうした? 私、今から食べようと思うんだけど、もしまだだったら食べながら話を聞いてくれないかな」

「少し長くなりそうなんだ」。そう、力なく微笑むの姿に、テマリは頭の中に浮かぶ一人の男に術をかけてやりたい気持ちになりながら、木陰に座るのすぐ横に腰掛けて、荷物の中から握り飯を取り出した。

との結婚が決まった時、冷やかしに行った私にあいつはあんなことを言っていたというのに)

誰にも渡したくなかったからで、

(なぜ私の友人はこんなにも儚い笑顔をしているのだろうか)
  • 2014/03/19
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