まだ外は薄暗い。習慣なのか、相変わらず起きるのは朝食を用意するのに丁度いい時間。その習慣も、彼と一緒に生活することで身についたものだと思うと今は少し、苦かった。
砂の里に来て三日。実家に帰っていた期間も合わせれば、家を出てきてから六日が経とうとしている。結婚してから彼とこんなに長い間離れたのは初めてだと思うと、少しだけ帰りたいという気持ちが疼いた。けれどまだ、一歩を踏み出すには足りない。
結局砂の里に来てしたことと言えば、里の子供達と遊んだり、泊まらせてもらっている三兄弟の家の家事を受け持つくらいのことだった。それすら初めはやらなくていいと言われていたのだけれど、タダで泊めてもらうのは悪いと私が無理を言ったのだ。
砂の里での生活は何も不自由していない。雰囲気や気候は違えど、そこに住む人達はとても穏やかで感じの良い物だった。昔は気候柄食物が不足しがちだったと聞くけれど、物流のたまものかそれも感じない。我愛羅が風影になる前の砂の里には来たことがなかったけれど、私が「相変わらずいい所だね」と言えば、我愛羅は嬉しそうに、本当に穏やかに微笑んで「ありがとう」と言った。我愛羅の人となりが、この里中に広がっているのだと思った。

エプロンを着け、台所に立つ。朝だから、軽い物がいいな。そんなことを考えながら材料を取り出していると、後ろから足音がした。

「おはよう、我愛羅」

「おはよう」。そう返事が返ってくることがやっぱり嬉しくて、私は思わず微笑む。我愛羅は三兄弟の中で誰よりも朝が早かった。朝一番、他の誰も起きていない寝静まった時間に、彼と二人になることは多い。料理をしながらする会話は取り留めもないことで、けれど心底穏やかだ。彼の雰囲気は、昔中忍試験で見たときとは見違えて優しい。

「今日は何にするんだ?」
「そうねー……魚を焼いて、ご飯と、おひたしとお味噌汁かな」
「そうか」
「口に合ってるといいんだけど」

そう苦笑して、まな板に向かう。それに我愛羅は不思議そうな様子で少し沈黙してから、小さく笑った。「の作る物は美味い」。そう、素直な感想が返ってくると、失われかけていた自信が少し戻ってくるようだった。元々屑ほどしかなかった自信だったけれど。

「……――は、帰りたいとは思わないのか?」
「え?」

我愛羅がその話をするのは珍しかった。テマリのように様子をよく見るでもなく、カンクロウのように気を遣うでもなく、本当に自然体で接してくれていたから気にしていないものだと思っていた。思わず手を止めた私に、「すまない。帰れというわけじゃないから、安心してほしい」と考えもしなかったことを言われ、この優しい末っ子がそんなことを思うだなんて考えもしないのになあと苦笑する。野菜を切る手をゆっくりと動かし、私は我愛羅に背を向けたまま、包丁と同じようにゆっくりと、慎重に、言葉を選んで口を開く。

「少しだけ」
「……少し、なのか?」
「私が思っても、シカマルはそうじゃないかもしれない」

我愛羅がどんなふうに思っているのか、私には見えないからわからない。ただ沈黙して、静かに話を聞いてくれていることだけはわかる。魚の焼き具合を確かめて、それに満足したらお皿に移した。いい焼き色だ。

「疲れてるときって一人になりたいこと、あるでしょ? 会話がないのも、目が合わないのも、そうなのかなと、ここにきてゆっくり考えられるようになって、思ったの」
「……」
「今帰ったら、触ってほしくなる。あの手で手を握ってほしいし、髪が乾いていなかったら拭ってあげたいし、同じ布団で一緒に眠りたくなるの。だから、私を見てくれないシカマルを見ているのが辛い」
「……そうか」

盛り付けの終わったお皿を運ぶのを手伝いながら、我愛羅が静かに言う。私は苦笑しながら「うん」と返事をしたけれど、我愛羅の眉間に皺が寄っていることには気が付かなかった。

「テマリは、今日木ノ葉だったよね。夕飯には帰ってくるの?」
「ああ、その予定だ」
「そっか」

配膳の終わった食卓を眺める。三兄弟の中に混ぜて貰って、私まで兄弟になったような気持ちがした。我愛羅は嘘も付かなければ、口も堅い人だ。だからだろうか、ついうっかり、普段話さないようなことまで話してしまう。そんなとき、私はどんな顔をすればいいのかわからなくなる。忍として優秀だった私は、素直に気持ちを伝えるということが、とても難しいと思ってしまう。
二人を呼んでくると部屋を出て行った彼の背を見送った。兄というのは、こんな感じなのだろうか。同い年なのに変な感じだな、と思いながら、次に浮かんだ背中はシカマルの大きな背中だった。


が実家へ帰って六日。――というのは正しくないかもしれない。医院は昨日休業の張り紙を取り払っていたが、あいつは帰ってこないままだ。どういうことだろうと家を訪ね、「居ますかね?」と問いかけた気まずい顔の俺を、お義母さんは驚いたような顔で見て、それから面白そうに「なるほどね」と言った。

「私が言ったのよ。〝辛かったら、少し逃げてみな〟って。まさか本当に逃げるとは思わなかったけど」

あの人の言葉が頭から離れない。辛かったら、ということは、は辛かったのだろうか。そうも逃げたくなるほどに? 何かした記憶はない――というよりも、何もしなかった。この間、が実家に帰る前日の夕方に、一緒に言った「いただきます」を久々だと感じたことを思い出す。そして、の様子が変だと思ったことも。あの時……いや、あいつのことだ、あの時よりもずっと前から、何か堪えていたのではないだろうか。
「うちの子、不器用でごめんね」と言ったお義母さんは苦笑して、けれど明るい顔だった。

「けど、シカマルくんなら大丈夫でしょ」

その言葉は、どこから来るのだろう? 結局にそこまで我慢をさせていたのは俺だ。眉間に皺が寄ったまま、「ありがとうございます」と言って、けれどを探すわけでもなく仕事に戻った俺は、いつもよりも捗らない職務に苛立った。

(どこにいんだよ……)

頭の中を埋め尽くすのはのことだ。こんなにもあいつのことだけを考えていたことは、最近一度もなかった。いつでも仕事仕事で、そんな俺に文句も言わず、美味い飯作って、俺が帰るまで起きて、俺が遅い夕飯を食べ終わるのを待って、後片付けをしてから先に寝た俺の横に起こさないようひっそりと入り込む。朝はぬくもりだけを残して先に起き、やっぱり美味い飯を作って、会話もろくにしようとしない俺の向かいで一緒に飯食って、玄関まで毎日送り出してくれるのだ。

それが当たり前になっていたから。

俺を送り出す時のの顔を、俺はちゃんと見ていただろうか。忙しさにかまけて放ったらかしにして、目も合わさない、会話もしない。そんな生活にが何も思わないわけがない。は悲しいとか辛いとか、そういうことを思っても中々口には出さない性格だ。自分からは言いやしないのだ、あいつは。
どんな気持ちだっただろう。そう考えて、六日前、合わなかった視線を思った。俺はあいつを見てるのに、あいつは俺を見ていない。そんな感覚を、はどれくらい味わったのだろう。

歩いている廊下の向かいから、いのとチョウジの声がした。声をかけられ「よー」といつもに増して気の無い返事を返した俺を、二人は怪訝そうに見る。ああ、疲れて帰って返事したって、はそういうのも全部気付いてたんだろうな。「何よ、辛気臭いわねえ」と容赦のないいののように言える奴だったら楽なんだろうが、はそうじゃない。けれどそうじゃないと思わせないその気遣いにも、惚れたのだ。

「そういえばシカマル、最近見てないけど、どうしてるの?」
「え、いのも見てないの?」

どうしてるのかなんか、俺が一番知りてーよ。「帰ってきてねえ」。そう、呟くように言えば、二人は目を見張って呆気に取られている。
我に返ったいのが「あんた何したらそうなんのよ!」と胸倉を掴んだのを、チョウジが慌てた様子で仲裁に入った。「いの、ちょっと落ち着きなよ!」という声がするが、俺は何も言えないでいる。そこに、コツコツと靴音がする。廊下の向こう側を見てみると、そこには

「なんだ、甲斐性なしじゃないか。それ、どういう状況だ?」

砂の里の風使いが皮肉を織り交ぜた目で薄く笑っていた。

ならうちにいるぞ」


苛立った様子の彼女は仕事を手早く済ますと、わざわざ俺を探してやってきた。「火影様からの許可は取っている」と見せつけられた書面には確かに火影の印が押されており、そこには「半日休暇」とたった今筆で書かれたような文字があった。それに呆けている俺を見て遠慮なくでっかい舌打ちをしてから、彼女は俺の胸倉を掴み引き寄せた。

「いらないというなら私達が貰ってやるから、遠慮せずに言え」

例え伏せられていたとしても、今はそれが何のことなのか瞬時にわかる。いや、それよりも、その出来合えの書類を彼女が持ってきた時点で、この人が俺に何を言っているのかはわかっていた。
眉が一気に寄るのがわかる。いらないなんて、そんなわけない。他の誰にだって渡してたまるかと、そう思ったのは、思うのは、今も何も変わっちゃいないのだ。随分と情けない顔を、嫁でもない女に晒していると思うといたたまれなかったが、震える喉でため息を一つついた。

やっと素直になれたからで、

(お前に、会いたい)
  • 2014/03/22
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