「リヴァイ」

そう呼ばれ、彼は立ち止った。その先に居る久しい顔に「リオか」とその人の名を呼ぶと、リオは小さく表情を綻ばせてリヴァイの横へ並んだ。「今暇か?」と問われ、リヴァイは頷く。

「ちょっと話があるんだ」

リオが用もなく訪ねて来ることはほとんどない。そんなことだろうと思っていた彼は、その内容が何なのかを考えながら部屋へリオを案内した。三年ほど前までは前線で共に戦っていたのが何を思ったのか訓練兵団の教官になんかなって、「案外性に合ってるみたいでなあ」と笑っていた彼をリヴァイはよく覚えている。それはそれは楽しそうな表情で言うものだから、彼自身内心で喜んでいたのだ。
調査兵団を七年務めたリオは精鋭に数えられるほどの腕前で、散々惜しまれての教官職だった。エルヴィンが何も言わず送り出したわけではないだろうことはリヴァイにも想像がついたが、それでも彼等が交わした言葉は知らない。リオが「訓練兵団で戦い方を教えることにした」と突然リヴァイに告げてから、次の日には本当に異動してしまっていた。あまりの早さに愕然としたものだが、彼はなんだかんだ言って要領がいいのだ。

「もうちょっとしたら、訓練兵達が上がってくるだろ」
「そうだな」
「それと同時に調査兵団に戻ることになった」

彼は平然とそう言って勝手知ったる様子でコーヒーを淹れる。リヴァイは思わず目を見張った。自分よりも背の高い――一八〇はある――大きな背中。しっかりとついた筋肉は、調査兵団の所属でなくなってからも彼が鍛錬を怠らなかったことを物語っているようだった。そんな男がコーヒーのいい香りをさせながら自分の向かいに座るのを、リヴァイは眉間に皴を刻んで見つめる。

「……最初から決まっていたのか」
「ああ。104期が卒業するまで、ってな」

「そういう約束だったんだ」。なんてことはない。期間限定の異動だったのなら、エルヴィンが強く引き止めなかった理由も頷ける。もっとも、他よりも死のリスクを伴う調査兵団だ。引き止めるという行為そのものが簡単にできることではないが、そうしてしまえるくらいにリオが優秀な兵士であることをリヴァイはよく知っている。

「104期に知り合いでもいたか?」
「そういうわけじゃないんだが――」

ニタリ、と笑って見せるリオは子供のような、何かを楽しんでいる笑顔だった。ああ、「案外性に合っている」と言っていたときとそっくりだ。相も変わらず愛嬌のある奴だな、と思いながら、リヴァイはカップに口を付ける。リヴァイが知る中でリオよりもコーヒーを美味く入れる奴は居ない。

「リヴァイにそっくりな飛び方をする奴がいるんだ」


『そいつをお前に会わせたくてさ』

リオがそう言ったのは三日前だが、この様子では会えたもんじゃねーかも知れねーな、とリヴァイは思った。慌ただしい周囲の様子に息をつく。前線ではもう既に何人も死んでいるであろうことが、リヴァイには考えるまでもなくわかっていた。前線に居たのは、まだ配属兵科も決めていないような訓練兵上がりの子供ばかりだ。実戦を知らない子供がどれだけ戦えるのかを考え、尚更ため息が出る。

「……生きてるといいがな」

ボソリと呟かれた声を拾う者は誰もいなかった。


私は目の前の光景に驚きを隠せないでいた。
私の所属する10班は平凡な班だ。104期の中でも特に精鋭というわけでもない、まあまあの成績の人間が集まっている。もっと均等に分配すべきだと私はずっと思っていた。
訓練兵の役割なんて、危険度にそう差はない。精鋭だろうが落ちこぼれだろうが、やらなければならない〝最低限〟が訓練兵に回ってくるのは当然のことだった。それをクリアできるかできないかは、班員の力量による。中部とはいえ前線を担当するには、この班は決定打に欠けていた。補助の方が向いている。そういう組み合わせなのだ、10班は。そんな中で一番優秀なのが、同室のだった。

彼女は幼馴染のエレンやミカサ、アルミンほど表だってハッキリと目立つ子ではない。なぜなら三人と行動することが最も少なく、本人の性格が大人しいからだ。
それでも目立つのと別の意味で注目されることの多い子ではあった。何事にも動じず、正確に頭が回る。本人は気付いていないが、同期の中でも一目置かれた、そういう人物だ。ダークホースと言えばわかりやすいだろうか。エレンとは違う意味で人に影響をもたらすことがある。それはきっと、五年前、ウォール・マリアが陥落したときの経験故だろう。
家族と共に巨人を見ないまま避難できた私とは違い、彼女はあの時両親を亡くしている。そして、巨人と直に相対したと小さく漏らしていたのを私は一度だけ、たったの一度だけ聞いたことがある。そこからどうやって生き延びたのかを彼女が話してくれることはなかったが、エレン達ですら知らないというのだからよほどの経験だったのだろう。

けれど彼女は、周囲の期待とは裏腹に目覚ましい成績を残しているわけではなかった。104期の成績トップの中に入らなかったのも頷けるほどの平凡な成績、平凡な態度――と見せかけて、あまりやる気のない訓練兵生活だったのを私は同室として、班員として過ごしながら近くでよく見て、知っている。それこそ臆病者のレッテルを避けるためだけに入団した連中と似たり寄ったりな打ち込み方だった。ちょっと彼等よりも上手く誤魔化しているという程度の違いだ。模擬戦闘の時ですら、淡々と確実に、けれどやる気なさそうに〝こなす〟のだ。
そう、彼女は訓練兵になってから戦ったことは一度も無かったように思う。対人格闘においても適度にこなすだけでそれ以上のことはしていなかった。そのくせ、なんでも簡単そうにやってのけるのだ。必死になるわけでもなく、気付いた時には早々に課題をクリアしている。

『ねえ、は配属兵科どうするの?』

訓練兵団解散式が終わった夜、寝る前に小声で聞いたことだった。それに彼女は瞬きを一つして、なんてことなさそうに『調査兵団』と言ったのだ。食堂で起こったジャンとエレンの口論に触発されたのかと一瞬思ったが、それを打ち消すほどの自然さでもって彼女は言ったのだ。その言葉に頭の隅のところで小さく自分が納得していたことに、今私は気付いている。

(最初から調査兵団に入ることを決めていたから、わざわざトップを目指さなかったのかな)

同期の中での競争なんて、それこそどうでもよさそうだった。ボンヤリとする頭で考える。

(目の前のあの子は、誰?)

巨人を前に足が竦んだ。私達は、まともに巨人を見たのは初めてだ。けれど彼女は違う。経験が違う。だからと言って、こうも差が出るというのだろうか。だとしたら彼女はどんな経験をしたというのだろうか。たった十歳の少女だったが、巨人と相対して生き延びたというそれがどんな出来事だったのか、その時私は、初めて心の底からそれを聞きたいと思った。

元々立体機動の扱いは104期の中で群を抜いて上手い子だった。他の誰もしないような、けれど的確で正確な動き。彼女が真面目にやっていたのは、立体機動の授業だけだ。それも、教官に教わったことなんてなかったかのように、自分で何か思い描く形があるかのように、動いていた。それに教官達は何も言わなかったけれど、だからこそ彼女はのびのびと、自分の腕を磨いていけたのだろう。教官はそれがわかっていて何も言わなかったのだろうか。

「トモエ達は立体機動の準備して、そこに居て。無駄にガス使わないで」

体が強張って動けないでいた私達に彼女が言ったのは、そんな言葉。「動けると思ったら戦ってもいいけど、死ぬと思うなら物陰に隠れてていい」と、そう言い残し彼女はさっさとアンカーを打ち込んで、一体目――一番足が速く、一番最初に近づいてきたそれに援護もないまま突っ込んでいった。そのまま行けばそいつの口に一直線だと思った私は「ッ!!!」と震えた声で彼女の名を叫んだけれど、彼女の体は口の直前で横に逸れ、綺麗にうなじを削いでいた。
前線で防ぎきれなかった巨人達がどんどん流れ込んでくる。それを、呆然として見守る私達とは対照的に、彼女は一体一体仕留めていく。時々戻ってきてはチラリと私達の様子を確認するその様子には焦りの欠片もなく、怯えることしかできない私には、余裕すら見え隠れしているように見えた。

自分の力量を間違いなく知っている人だと思った。巨人達の動きを見て、追えなさそうだと判断すれば身を引くし、数が集まりすぎているならまずはバラすために飛び、決して無理はしない。できるだけ一対一の状況に持ち込んでいく彼女のその姿は、今まで見たどんな彼女とも違っていた。

ミカサのように一目で凄いと思うような戦い方じゃない。けれど飛んだからには確実に一体仕留めていくには、正確さと、磨きあげられた兵士にも劣らないような確かな立体機動の腕がある。そして、どうすれば有効に戦えるのかを学び、考えた痕がある。

何が彼女を、ここまで追い上げたのだろう。役立たずの自分と彼女とを比べ、劣等感に呆然としながら、私は彼女の背から目を話すまいと精一杯追いかけていた。

追う

(網膜に焼き付いて離れないその人の動きを、ただひたすらに)
  • 2014/07/20
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