担任から呼び出されたのは土日が明けた月曜日の朝だった。何枚かの写真を見せられ、「心当たりは?」と聞かれて、私は「なくはない」か「さあ」かで迷ったが、結局「さあ、わかりません」と言った。

ボコボコになったロッカーの扉。鍵がかかっていたために開けたくても開かず、接続部分を無理矢理壊された跡があり、空だったはずの中には何が混ざっているのかすらわからない液体状の汚物が見てとれた。「のロッカーだ」と差し出された写真を見て、今朝こんなことになっていたのか、と他人事のように思う私を、教師は意外そうに見る。その状態を確認しても無表情であることに、困惑するはずだった私の代わりをしているように見えた。

仁王と付き合い始めたときからロッカーの中身を空にしていた私には、ロッカー以外の物的被害はない。予想はできていた。こうなるのではないかと。タイミングから犯人も見当がついている。しかしそれを言ったところで証拠はない。人懐っこく明るくて、頭がよくないために手のかかる彼女は、友人も多ければ教師陣にも好かれていた。動機はあれど「そんなまさか」と返される恐れがなくはない。本当にやったのかと教師が問いただしたとして、やっていないと言い張られれば私に勝ち目はないように思う。

頭の中で、とうとう始まったな、と思った。


ちゃん、大丈夫だった?」

私が教室に戻ると小林さんが話しかけてきた。仁王同様私と三年間同じクラスの彼女との交流は、しかし深くはない。なのに彼女の目は心配そうに私を見ていて、おや? と思う。教師に呼び出されて大丈夫? は普通聞かないだろう。ということは、彼女は朝のロッカーの件を知っていることになる。

「どういう意味?」

そう問うと、案の定彼女は困惑した顔になり、私に向っていた視線を少しだけ斜め下に下げる。やはり、知っているのだ。そしてそれを決してよく思っていない。よく思うような輩がいるとは思いたくなかったが、内容が女の嫉妬というだけあって便乗してくる者がいてもおかしくないと思うのは仕方がない。なにしろ、仁王雅治はおモテになるのだから。

「あのね、部活で朝早くて、それで」
「なるほど」
「他に見た人は多分いないと思う。すぐに先生に言いにいったから……」
「うん、ありがとう」

余計なことをしたかな、とでも言い出しそうな小林さんに、私はお礼を言った。彼女は少し驚いた顔をして、苦笑する。
最近は上履きを持ち帰りしていて、下足室よりももっと近いところから入ることができるからロッカーにいくことがなかった。だから、彼女が言ってくれなければ私はその状態を知ることはなかったかもしれないし、少なくとも目撃者は多くなっただろう。担任がロッカーを取り替えてくれたとは聞いていたが、彼女が早い段階で言ってくれたなら見た人は本当に少ないはずだ。他の朝練組はわからないが。
なんにせよ、仁王に泣きつく気の無い私は、彼にバレることさえ避けられれば現状はそれでいい。

「仁王には言わないで」

そう言った私を、彼女は複雑そうな、何かを言いたそうな顔で見つめたが、しばらくしてから「うん」と一言頷いた。


三日目になる嫌がらせは随分ねちっこく、影からのものばかりだった。ロッカーに納豆だったり机に「死ね」という手紙だったり。だがそれは大体小林さんから聞くばかりだ。最初にロッカーに気付いてくれた彼女は、それ以降も憤慨気味に私を心配してくれていて、部活あるから苦にならないし! と毎日ロッカーを確認してくれているらしい。悪いと断ろうともしたのだが、「仁王君にバレたくないんでしょ?」と押し切られてしまった。

ちゃん、巴ちゃん、一緒にご飯しよ!」
「私学食だけど」
「あ、そうなんだ。いくいく! ちょっと待っててね」

巴以外の子と一緒に昼食をとるというのが私には新鮮で、その機会が単純に嬉しかった。それで少し浮き足立っていたのか、それよりも影からばかりで油断していたのか。人目につくところで直接的な攻撃をされることはないだろうと高をくくっていたのかもしれない。
「お待たせ!」と駆け寄ってきた小林さんと巴と一緒に廊下を歩く。学食にいくのに階段を下りようとしたときだった。

背に人が当る感覚がして、次に来るのは浮遊感。周りの動きがスローモーションに見える気がした。驚いて見開いた目はまばたきをする間もなく、身に受けるだろう衝撃に身構える。

だけど。

ふう、とホッとしたようにつかれるため息はすぐ近く。手首に感じる人間の体温は少々冷たいように感じる。驚き振り返って目に入るのはあの目立つ銀髪で、いつものニヒルな笑みを消したその顔は少し焦りを孕んでいるようにも見えた。その顔と掴まれている腕を見て、彼が私の腕を引いてくれたのだと悟る。

「仁王……」

動揺しているのか、ありがとうの一言が出てこない。仁王はそんな私を見て頭をポンと撫でてから、少しだけ笑って見せた。それから少しだけ後ろを振り返る。

「危ないじゃろ」

階段の上に向って彼が言う。いつもより少しトーンの低い声はまるで怒っているみたいで、私は少々驚いた。そういえば、彼が怒っている場面というのに遭遇したことが一度も無い。そんなことを脳裏で思っていると、「ご、ごめんね仁王くん! さん大丈夫?」と白々しい女子の声が聞こえたが、私は少しだけ笑って「大丈夫」と返した。それに彼女等の顔が少し曇る。
「仁王くんに助けてもらうなんて」。思うところはそんな感じだろう。だけどあんたが私を落とさなければ、私が仁王に助けられることなんてなかったのだと、その化粧品を塗ったくった顔を叩いて言ってやりたい。それを中身で押さえている間に、仁王が彼女を追い払ってくれていた。振り返った彼は私を下から上まで見る。

「大丈夫そうじゃな」
「うん。……ありがとう」
「ピヨ」
「ピヨ?」

復唱した私に仁王が噴出した。またポンポンと頭を撫でられて、「ちょっと」と小さな反論をする。

「気をつけんしゃい」

それだけ言って、仁王は階段を上に上がっていった。なるほど、屋上にいくところだったようで、偶然出くわしたところを助けてくれたらしい。助けられたかったわけではないが、正直本当に助かった。今回のはシャレにならない。

「ほんと、大丈夫でよかったわ」
「あっぶないなあもう……今のも、わざとかな」

「多分ね」。そう返した私の言葉に、小林さんは表情を固くした。大丈夫だよ、と軽く笑ったけれど、彼女のそれは固まったままだ。
さっきぶつかった女子に、私は見覚えがあった。三吉さんと仲のいいあの子だ。三吉さんの指示なのか、それとも友達の恋人と付き合っている私に対して勝手に彼女が動いたのか、そんなことはわからないし、どうでもいい。ただ、三吉さんの友達であると、それだけが事実。
あれは過失ではなく、故意だ。それは確実で。仁王に腕を引かれて振り返ったとき、仁王越しに見えたその表情は畜生とでも言い出しそうなそれだった。

「女子って何するかわかんないわね」
「ほんとにね」

私と巴でそんなことを言うと、「ちょっと二人とも! 冗談じゃ済まないんだよ!?」と小林さんからお叱りを受けた。


「で、呼び出されるわけね」

珍しく机の中に入っている紙を私が見つけて、それを開いてみればまるで果たし状かというような内容だった。差出人の名前はなく、場所は校舎裏。放課後のあの場所はとくに人が少ないので有名だ。だからこそ、よく告白スポットになっている。そして多分、私が知らなかっただけで、こういう呼び出しもいつだってあそこだったのではないだろうか。目に浮かぶ光景に今更ため息も出なかった。巴に用事があるから先に帰ってくれと頼み、私は呼び出しに応じることにする。
ポケットの中にケータイが入っていることを確認し、私は校舎裏までの道を辿った。


「早かったのね」

「逃げられるかと思った」と続けられた言葉に、私はその人物を見やる。予想通りすぎる人物を目の前にして、私はわざわざ「三吉さん」と呼んだ。もう、白を切ったところで彼女が納得してくれるはずもない。テスト前に私を気の毒そうに見た彼女とは明らかに違う点がある。
立ち位置は自然と私が校舎側になった。

ポケットの中から手を抜いて、彼女と真正面から相対する。彼女よりも少し後ろに、私を階段から落とそうとしたあの女子がいた。今の状況ではまだ、三吉さんが指示したのか、それとも彼女の独断なのかはやはりわからない。とにかく後ろの彼女は、今何か口出しをするつもりというのはないようだった。ただの威嚇。こっちにはもう一人いると、それを伝える意図があるように思える。

「率直に聞くわ。さん、雅治と付き合ってるの?」
「……うん」
「そう、あたしもよ」

あたしよりもあなたのほうが雅治につりあうとでも思ってるの? そう言いたいのだろう言葉は、しかしそこで止まる。自信に溢れて、でも仁王に飽きられているのではないだろうかという不安感の滲む声は、私から見ても痛々しい。だけど私はここで引けないのだ。面倒くさいことに。

「知ってる」

最初から決めていた。彼女が真正面から来たなら、私も真正面から応じよう。持っている真実を、必要なだけ言葉にしよう。嘘をつくことはしないと、最初から。

初めは仁王とのお遊びのつもりだった。かくれんぼや鬼ごっこのような、そういうものと似た扱いだ。だけどあの時、三吉さんの表情が凍りつくのを見て、それだけでは済まないことなのだと思ったそれは、わかっていたことを再確認したような感覚で。
本当は最初からいけないことだとわかっていた。誰かを傷つけることだと知っていた。仁王が「付き合わんか」と言ったとき、跳ね除けなければいけなかったのだ。私は無知なふりをしていただけで、本当は仁王と三吉さんのことをちゃんと知っていたのだから、これに関しては三吉さんは何も悪くない。だけど、その後の行動は三好さんが悪い。

パンッ。
子気味のいい音が鳴った。左の頬が熱い。三吉さんの目に水気が増している。綺麗な目。パッチリ大きくて、睫は長くて、ナチュラルメイクがよく映える。噛み締められた唇が、あんたに雅治を渡したくないと怒鳴るのを堪えている。
彼女にビンタをされたのよりも、その衝撃で校舎に少し頭を打った方が痛かった。この行動だって別に意外でもなんでもない。予想の範疇だ。というよりも、こうならずに済ませられるほど、彼女が冷静だとは思えなかった。それに対して私は無情なくらいに冷静だ。

「ロッカーの嫌がらせとか、机の中の紙とか、三吉さんがやったの」
「そうよ! なのにあんたは動じもしないで……っ」

せり上がる文句の言葉に口が追いつかないかのように、彼女は一度口を止めた。「そう」。私はそれだけ呟いて手を握りこむ。

パンッ。

彼女が私を殴ったのと同じような音が鳴った。
衝撃に自然と右を向く三好さん。呆然と、何が起きたのかわからないかのような顔で停止している。その後ろで彼女の友人が、呆気に取られたような顔をして私を凝視した。

「やられたら同じだけ返すって決めてるから」

そう言った私を見て、三吉さんは本当に驚いた顔をしていて。何が起きたのかを理解すると同時に、ずっと零れそうだった涙が一粒流れた。

risk

(なぜだか私は、彼女を泣かしてでも引き下がりたくないようで)
  • 2012/06/08
  • 7
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