「蓮二ー!」

あれから一週間。また毎日のように下校を共にするようになった私に、テニス部の面々は何も触れてこない。蓮二だけには「ふられちゃった」と言っておいたけれど、彼は「そうか」としか言わなかった。私が彼のことを本気で好いていたわけではないと、蓮二はちゃんと気付いている。だから慰めることをしない。

中学の頃から、恋人の付き合いが長続きしない性質だった。
相手のことを嫌いになったわけでもなければ、悪い人だったわけでもない。これだけ何度も続くんだから、原因は私なんだろうなあ、と一度深く考えたことがある。結論は至って簡単だった。私はどうやら、どの恋人に対しても〝本気〟ではなかったようなのだ。付き合っている間好きだと思っていても、ふられて一日泣けば吹っ切れてしまう。友人の巴曰く「縋って泣きつくくらい男を好いてるなら、多分相手は考え直してくれたわよ」らしい。だけど事実、私には縋って泣きつくほどの愛情がなかったということらしい。難儀な体質だ、と零したことがあったけれど、巴は少し驚いたような顔をして深い深いため息をついた。

『あんたがそんなんじゃ、どんな男も報われないわね』

ちょっとそれってどういう意味?


って処女でしょ」

ニッコリ微笑んで言って見せた目の前の男の子は神の子という異名を持つらしい。
ほぼ空になったイチゴミルクのパックの中身を軽く吸って吐いてすると、パコッパコッと音が鳴った。私は神の子がこんなこと言っていいのかな、と少し疑問に思いながら、赤面するでもなく彼を真っ直ぐに見やる。ストローから口を外し、「うん」と一言返事をすれば、彼は躊躇しないね、と面白そうに笑った。最初に躊躇せずそんな質問を投げかけてきた自分のことは棚に上げるんだなあ。そんな思考回路はふわふわと頭の中から抜けていく。

「別に、隠してないよ。恥ずかしいことじゃないもん」
「うん。いいよね」
「何がいいのかわかんないけど」

幸村くんとは委員会が一緒だ。中学に引き続いて美化委員会に所属する私達は、今現在校内美化週間のプリントを各教室に掲示しに回っているところである。クラスごとのジャンケンで負けて、私達がこっちをすることになった。一年の教室が一番上の階なので、まず一年から順番にいこう、と話して作業に移ったが、やっとのことで三分の一が終わりそうといったところだ。自分のクラスであるのをいいことに、空になったパックをもえるごみに捨てる。生憎開いたスペースが高いところしかなかったので、今は私が押しピンのケースを持っていた。

驚いたのは彼が下ネタをこうも簡単に口にすることだが、イケメンはそういうことを言っても許されるものなのかもしれない。不思議なことに、彼からそういう質問をされても不快感は一切なかった。蓮二と仲がいいから、というのも関係があるかもしれないけれど。

は、また別れちゃったの?」
「うん、またふられちゃった」
「でも今度は泣かなかったんだ」
「何でわかるの?」
「また柳と一緒に帰り始めた日、目が赤くなかったから」
「ああ、そっか」

同じクラスだから朝から会ったもんな、と納得する。私が蓮二と帰り始めたのは、ふられたその翌日からだった。
流石、元立海大附属中テニス部部長なだけあるな。関係があるかないかは別として、周りをよく見ている。

「好きになる時間がなかったの」
は、好きじゃない人と付き合えるんだ?」
「好きになれるかな、と思った人となら付き合えるよ」
「ふうん。だったら、俺とも付き合える?」
「うーん……」

少し考えた。ニッコリ笑った綺麗な顔。人形のように計算されているかのような造形は、酷く美しく、儚い印象すら持たせる。それでも強い力を持つ瞳。確かに彼は酷く魅力的だ。かっこよくて運動が出来て頭がよくて、こうも完璧な人間はそうそういないように思う。だけど。

「付き合えない」
「俺じゃ不満?」
「不満じゃなくて、友達として長く付き合いたいから」

そう言った私に幸村くんは機嫌よさそうに「それでいいよ」と言った。

「俺もとは付き合えないな」
「そうなの?」
「だっては、もう好きな人いるだろ?」

どういう意味? わけがわからなくなって目をパチクリさせる。幸村くんはひたすら微笑んでヒントも答えも一切くれない。「どういう意味?」と言葉にしてみても「自分で考えないと」と言われてしまっては仕方がない。気になりすぎて動かない私を見た彼は、微笑みを苦笑に変えた。

「ヒントだけだよ」
「! うん」

一度言ったことを曲げる性質ではないだけに、幸村くんからの言葉は驚くほど魅力的に見えた。「その代わり、家に帰ってから考えること」。まだ作業もあるし危ないから、と私の手にある押しピンを指差して彼が言う。私はそれに頷くことしかできない。

「今が告白されたら、俺を断ったときと同じように断る相手」

ニッコリ。また同じように綺麗に微笑む彼は、「少しは進展するといいね」と少々楽しそうに言う。幸村くんは私とその人をくっつけたいのだろうか。そうとしか思えない行動に驚き、一瞬ポカンとしてしまった。

「好きなのに断るの?」
「だっては気付いてないじゃないか」

ああ、それはもっともなことだな、と私は頷く。話は済んだし残りの作業を終わらせよう、という幸村くんに先導されて二年の教室の方へ向った。ごちゃごちゃ考えるのは家に帰ってから。幸村くんと約束したから。

蓮二は部活に励んでいるだろうか? と止まった思考の中に浮かんだ疑問は、多分励んでいるよと自らの思考が返事をくれる。きっと中学の頃よりもたくさん練習して、たくさん努力をしているんだろうと、そういう確信に似たものがあった。
テニスをしているときの蓮二は、かっこいい。本当に、見惚れるくらい。データテニスの計算された動きは無駄がなくて隙がなくて。テニスのルールなんて何回聞いてもよくわからないのだけれど、毎度毎度、飽きもせずに応援にいった。声は飛ばさないけど、ジッとプレーを見ているのが好きだ。

――今が告白されたら、俺を断ったときと同じように断る相手

ふ、と幸村くんの言葉が頭の中で再生される。ドキッと心臓が嫌な音を立てた。そんなまさか、と思いつつ、他の人のことを考えるよりも遥かに長いその時間を見て見ぬふりなんてできるはずがない。

ピタリと足を止めた私に、幸村くんが不思議そうに振り返る。どうしたの? とそんな目で見つめている。私はおそらく、本当に心底情けない表情になって、彼の顔を見上げた。

君が異性に変わってゆく

わかっちゃったかも、しれない)
  • 2012/07/24
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